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ピボット旅行2026-19『あるのがいけない!! Part 1』

はじめに

旅行というやつ、買い物のリミットが割と外れます。

みつけたもの

尾道紅茶。2024年も買ってはいましたが、あくまでもお土産として。普段使いという意味では足りませんでした。(これは完全な言い訳ですが、旅行中に体力を大幅に削っていたのでいちいち覚えていなかったというのも大きいです)

さて、尾道は隠れた名産としてお茶があります。特に尾道紅茶は先の2025年大阪万博のスリランカ館で、この尾道の茶舗の商品が展示されたほど。

なぜ尾道に紅茶がここまで流通しているのか? それを軽くシミュレートして、買うことにしました……。

  1. 北前船の寄港地としての『天然の良港』と経済の要所

尾道は天然の良港。また、風待ちとしても嵐除けとしても中継地として非常にちょうど良く、古くから瀬戸内海航路の要所・北前船の寄港地として、各地の銘茶や物資が集まる交易の街だった

また、住友財閥の極めて重要な「尾道会議」にて、住友銀行ヲ興ス事が諮られた非常に重要な土地。

  1. 坂道と猫の街に根づく『サロン文化・カフェ文化』
    文豪や志賀直哉たちが愛した尾道は、時間を忘れて思索に耽る喫茶文化が古くから育まれてきた土地。細い坂道を巡り、ふと立ち寄った洋館やカフェで丁寧に淹れられた紅茶をいただく……そんな風土と、全国の紅茶通を唸らせる名産へと育った

なるほど。では、紅茶があるのは自然です。

↑建前↑

↓本音↓

「あるのがいけない!! あるのがいけない!!」

に尽きます。そう、あの『ドカ食い』を求める方のごとく、ポイポイとカゴに入れて会計していたことは覚えています。

帰り道に思ったこと

さて、今回の旅の拠点は高松です。山陽線の電車の待ち時間に抹茶のブリオッシュをいただいて「うお、なんだこのとろける舌触りは、本当に小麦粉なの? これがブリオッシュ(お菓子)ならマリー・アントワネットはヘイトを勝って当然では(言ってない)」を思い出しました。

それはさておき、電車の中で会計を思い出します。

「9,208円になります」

と言われたことも覚えています。

「え? そんなに買った? そんなに入れてないはずなんだけど……」

思いつつ、夕飯を仕入れ、帰宿。食後に買ったものを整理していると

「……いや、よく1万円で収まったな」

と結論。

  • 缶入りティーバッグ3種
  • アソート1袋
  • 八朔ティーバッグ
  • レモンティーバッグ
  • エコバッグ

なるほど。商品があったことは覚えていたがその途中経過がすぽっと抜けていました。これに関しては筆者が「お茶を買うときにいちいち値札を見ない」という買い方がある種災いをしています。

高級茶でそんな買い方をしたら一瞬で資産が溶けますが、生憎とフレーバーティーを主体としていたので「そのノリで買えば大丈夫だろう」という最後の理性は働いていたのは、ある種の幸いでした。

さて、この尾道紅茶。休み明けにそれぞれ楽しみましたが「……よかった、通販があって」でした。これから足りないときは注文できるので。

しかし、「現地で買う→次の旅行“いつにする”か」という動機が減ったのはやや残念な点です。

ピボット旅行2026-断章『氷面師たち』

はじめに

『パン屋航路』での食事をご紹介しました。この時に食べたものは、

  • グリーンカレーパン
  • ずんだ入りクリームチーズベーグル

の2つ。しかし、パッケージには3つめのものがあったはずです。

実はこれ、道中のおやつに食べようと思っていた「抹茶ブリオッシュ」。しかし、「お昼に尾道焼きが控えているため」に取っておいたものです。

本来、これを聖地巡礼の後に食べる予定だったのですが……。

脳内ハリソン山中の提案

商店街を歩いていると、脳内のハリソン山中(『地面師たち』)が語りかけてきました。

もっと大きなヤマを狙いませんか?

そうですね……白玉がゴロゴロ転がるようなヤマです。つまらないじゃないですか、宿に帰れば食べられるものをチマチマ食べても。小さなヤマよりは大きなヤマ、容易いヤマよりは困難なヤマ。胃袋が怖気づいて二の足を踏むような――難攻不落のヤマを落としてこそ、この旅をしているんじゃないですか?

それに一も二も無く飛びつきました。

向かった先の「ととあん」

ここで向かったのが、甘味処「ととあん」です。

筆者がこのお店を知ったのは2011年。それ以来訪れている、最高に好きな甘味屋です。もちろん、今回のような「ヤマ」が待ち構えていることも知っていました。

選んだのは、白玉はっさく練乳かき氷。(正式な商品名は忘れました)

そして、運ばれてきたのがこちら。

……大きい。

写真のとおり、かき氷の頂上にはっさくが鎮座しています。白玉とはっさく、練乳は別添え。つまり、目の前にあるのは、文字どおりの「大きな山」です。

もちろん、注文時に描かれていたものしか乗っていません。そこに偽りはありません。

ただし、実物を前にしたときのインパクトまでは、メニューから読み取れませんでした。

予定していたおやつを食べる代わりに、思いがけず大きなヤマに挑むことになりました。

「このヤマ、どうやって攻略するか……」

の前に既に食べ終わっていました。

  • サクサクとした味を楽しむ
  • 白玉と練乳を別添えでやる
  • シロップを足す
  • 最後に全てを混ぜ合わせて飲むようにして食べる

はやっていたはずです。

余談

筆者がこのお店を知って以来、訪れるたびに思うことがあります。

「自宅とこの店のポータル、開けられないかな?」

それくらい好きなお店なのです。

なお、先のWWEの例で言うなら、今回の出来事はハリソン山中がキャッシュインしたようなものです。

こちらは抹茶ブリオッシュを温存していたつもりでした。しかし、目の前に現れたのは、それを後回しにするだけの価値がある大物でした。(なお、このブリオッシュは電車待ちの間に美味しくいただきました)

ピボット旅行2026-18『神様お願い!』

この言葉にピンと来た方は、グループ・サウンズの大御所、ザ・テンプターズの曲、あるいはそれをカバーした桃姫BAND(尾崎亜美)のタイトルを思い出すかもしれません。

しかし、筆者にとってこの言葉は、アニメ『かみちゅ!』のサブタイトルになります。

はじめに

筆者がこの旅を決めてから、プレイリストにぶち込んだ曲があります。

このタイトルにある『神様お願い!』を筆頭として、

  • 青春のいじわる
  • 野性時代
  • 時の河を越えて
  • 君に決定

そう、アニメ『かみちゅ!』のサブタイトルに使われていた曲です。

これらのサブタイトルは、1980年代のアイドルソングなどから取られています。タイトルだけを並べれば、当時の音楽に詳しい方なら別の景色が浮かぶかもしれません。

筆者の場合は、これらをAmazon Musicのプレイリストに放り込むところから、今回の旅が始まりました。

尾道を歩き、作品の舞台となった場所を訪れる。そのための準備として、まずは音楽から作品の世界に入っていくわけです。

……我ながら、ずいぶんと回りくどい準備運動です。

筆者にとっての『かみちゅ!』

以前の断章でも触れたとおり、筆者にとって尾道は、単にアニメの舞台だから訪れたい町ではありません。

そもそも、筆者が尾道という町を知り、実際にその空気を感じた後で『かみちゅ!』に出会っています。

作中では、中学生の一橋ゆりえが突然神様になってしまいます。けれども、物語の中心にあるのは、神様になったことによる壮大な冒険ばかりではありません。学校に通い、友人と過ごし、町を歩く。そんな日常の中に、神様や不思議な出来事が自然に溶け込んでいます。

この世界観が、実際に歩いた尾道の町と重なりました。

筆者にとって『かみちゅ!』は、作品を見てから舞台を訪ねたというよりも、先に五感で記憶していた町が、作品を通じてもう一度つながったような存在です。

だからこそ、今回の旅行で自転車を置いていく判断をしたのは、断腸の思いでした。自転車で尾道を走ることも、もちろんやりたかったことです。

しかし、今回あらためて確かめたかったのは、自転車で走ることそのものではありません。尾道という町を歩き、以前訪れた場所にもう一度立つことでした。

そして、せっかく尾道に来たのですから、『かみちゅ!』の聖地も巡りたい。

今回の行程では、そんな筆者にとって外せない場所を3か所回ることにしました。

尾道で確実に行ける3つの聖地

福本渡船「神様御用達」のフェリー

まずは、福本渡船です。

『かみちゅ!』に登場する来福神社は、神様がいる神社として描かれています。その神様にゆかりのある場所を巡る旅で、渡船という存在を外すわけにはいきません。

尾道の町と向島を結ぶ渡船は、単に対岸へ移動するための交通手段ではありません。海を挟んで向かい合う町の景色と、そこを日常的に行き来する人々の暮らしをつなぐ存在です。

そして福本渡船は、多くの人々に惜しまれながら、その長い運航の歴史に幕を下ろしました。

今となっては、かつてのように船に乗ることはできません。それでも、尾道の風景と暮らしを形作ってきた渡船の記憶までなくなったわけではありません。

今回の聖地巡礼では、作品に描かれた世界と、現実の尾道の町が重なる場所として、この渡船を記録に残しておきたいと思いました。

御袖天満宮

続いて、御袖天満宮です。

『かみちゅ!』に登場する来福神社。その境内のモデルとなった場所です。

作中では、主人公の一橋ゆりえが神様となり、三枝祀(みこ)の実家でもある来福神社を中心に、さまざまな出来事が展開します。

その来福神社の境内に対応するのが、ここ御袖天満宮です。

そして、この場所にはもうひとつ、映画ファンにとってもおなじみの景色があります。映画『転校生』で、人格が入れ替わる場面に登場する石段です。

ひとつの場所に、異なる作品の記憶が重なっています。

『かみちゅ!』の舞台として見るなら、神様が暮らす神社の境内。『転校生』の舞台として見るなら、物語が大きく動く石段。

実際にその場に立つことで、作品の中で見ていた景色が、現実の町の中に存在していることを確かめられます。

艮神社

そして、艮神社です。

こちらは、来福神社の拝殿に対応する聖地です。

御袖天満宮が境内のモデルであるのに対し、艮神社は拝殿のモデル。この2か所を巡ることで、作中の来福神社が、現実の尾道にある複数の場所から形作られていることが分かります。

特に印象的なのは、『かみちゅ!』のオープニングです。艮神社の社殿は、タイトルロゴと重なる場所としても知られています。

作品を見ていたときには、ひとつの神社として目に入っていた景色。しかし、実際の場所を訪ねると、境内と拝殿という異なる要素が、それぞれ別の場所に対応していることに気づきます。

御袖天満宮と艮神社。どちらか一方だけではなく、両方を訪れることで、来福神社という架空の場所を立体的に捉えられるわけです。

神様にお願いした後は

こうして、福本渡船、御袖天満宮、艮神社と、今回訪れたかった3つの場所を巡ることができました。

作品の中でひとつの場所として描かれたものが、現実の尾道では複数の場所に分かれている。その違いを確かめながら歩くのも、聖地巡礼の楽しみです。

そして、今回の筆者には、もうひとつ大事な目的がありました。

先ほど、尾道焼きというメインイベントを完食したばかりです。

神様にお願いをした後は、歩いて腹ごなし。

……とはいえ、尾道の坂道と石段を巡れば、それだけで十分に運動になってしまうのですが。

こうして筆者は、作品の記憶をたどりながら、再び尾道の町を歩いていくのでした。

ピボット旅行2026-17『かならず腹はへる』

はじめに

先の章でも触れた『かならず朝は来る』。そして、それに呼応する『かならず腹はへる』。

この言葉を、今回の尾道旅行で使わない手はありませんでした。

NHKの朝ドラ『てっぱん』は、尾道と大阪を舞台にした作品です。そのテーマ曲「ひまわり」も、物語を彩る大切な一曲。そして、作品のキャッチコピーは「かならず、朝は来る かならず、腹は減る」。

先の章では「かならず、朝は来る」という言葉を取り上げました。ならば、こちらの言葉が出番を迎える場所は、もちろん食事です。

しかも、ただの食事ではありません。尾道に来たからには、どうしても食べたかったものがあります。

お好み焼き、そして尾道焼きです。

では、スタートです。

再訪の尾道焼き

今回の旅で、尾道に行く最大の目標が「この店でお好み焼き(尾道焼き)を食べる」ことでした。

これは、自転車で巡る予定を立てていた段階から変わりません。昼食、あるいは夕食はここで食べる。そのために行程を組むほどの目的地でした。

観光地を巡ることも、写真を撮ることも、もちろん旅の楽しみです。しかし、何を食べるかもまた、旅の軸になり得ます。

今回は、その軸が最初からはっきりしていました。

そもそも尾道焼きとは?

尾道焼きの大きな特徴は、砂ずり(砂肝)が入っていることです。

一般的なお好み焼きでおなじみの豚肉とは、ひと味違うパンチがあります。砂ずり特有の歯ごたえと味わいが、全体の印象をしっかり引っ張ってくれるのです。

この個性の強い具材を、ほかのトッピングとどう組み合わせるか。そこもまた、尾道焼きの楽しみです。

トッピングのマシマシ

今回選んだトッピングは、お餅と生だこ。

注文の際、女将さんからひとつご意見をいただきました。

「砂ずりの味が勝ちすぎるから、海老やアサリは尾道焼きに向かない」

なるほど、具材を足せば足すほどよいというものでもありません。主役の砂ずりを生かしつつ、どう組み合わせるかが大切なのです。

そう考えると、今回の選択は正解でした。いや、実際に食べた後の感想まで含めれば、大正解です。

焼き上げというエンターテインメント

注文が通った後、脳内のリングアナが高らかに宣言しました。

Following contest is scheduled for one meal, and is for main event of this Travel...

From Onomichi, Hiroshima, weighing 500g. "The Teppan", Onomichi Yaki!

……と。

旅のメインイベント、尾道焼きの登場です。

まず、小麦粉の生地を鉄板にのばす。そこに、これでもかとキャベツを載せ、中華麺を載せる。

そして、主役を迎える準備が整ったところで、具材が次々と投入されます。

  • イカ天
  • レンコン(このお店の特徴です)
  • 生だこ
  • 切り餅
  • そして、砂ずり

これらが鉄板の上に並び、焼き上がりを待つ。

注文してから食べるまでの時間も、ただ待っているだけではありません。目の前で少しずつ完成していく様子そのものが、ひとつのエンターテインメントなのです。

食べる前から、すでにメインイベントは始まっていました。

そして、この焼き上げの過程は、今でも目の前に浮かぶほど鮮明に思い出せます。

Here is your winner!!

夢にまで見た尾道焼き。しかも、今回の旅のメインイベントです。

このために、この時のために、食事を調整していたまであります。いよいよ実食。最高でした。

  • 砂ずりのパンチ力
  • 定番のイカ天がもたらす、脂のうまみと香ばしさ
  • 薄切りレンコンという、心憎い演出

それぞれが個性を発揮しながら、ひとつのお好み焼きとしてまとまっています。

そして、トッピングも大当たりでした。

生だこのコリコリした歯触りが、実に絶妙です。確かに、砂ずりと海老では、歯触りも味も砂ずりの存在感が勝ってしまいそうです。しかし、生だこなら歯ごたえがぶつかり合わず、違った方向から食感を加えてくれます。

何より、お餅がいい仕事をしています。ソースも、肉も、中華麺も、まとめて受け止めてくれる。具材それぞれの個性をつなぐ、頼もしい存在でした。

切り分ける。食べる。ソースやこしょう(尾道焼きならではのトッピング)を足す。そして、また食べる。

最後の一口を食べ終えたところで、「Cover!」からの3カウントフォールがしっかり決まりました。

今回の旅のメインイベント、決着です。

伝えられたお礼

会計の際、女将さんに「2年前にも伺いましたが、美味しくて感動しました」と伝えることができました。

前回の訪問で感じた感動を、今回もきちんと伝えられた。これもまた、再訪したからこその満足です。

旅先で食事をすることは、その土地のものを味わうだけではありません。もう一度来たいと思った場所に戻り、以前の体験を確かめ、そこで感じたことを伝える。そうした時間も、旅の一部なのだと思います。

そして、食事を終えた筆者には、ひとつ大きな問題が残されていました。

この食事のインパクトが激しすぎて、「次の目的地、どうしようか?」と思ったのです。

……それは、また別のお話です。

ピボット旅行2026-16『季節の逆算』

はじめに

前の投稿では、時間の逆算についてお話ししました。

残された時間を把握し、その中で何を見せるかを決める。状況が変われば、進行を調整する。

筆者が旅行中に行っていることも、構造としてはこれに近いのです。

午前11時20分という帰還時刻は固定する。その一方で、そこまでの経路や、現地でどれぐらい時間を使うかは調整できる。

しかし、今回逆算していたのは時間だけではありません。

「季節」もしっかり逆算していた、というお話です。

10:30の仮説

尾道、千光寺公園。

ここで筆者は、ブロンプトンを断念した(これは擦り続けます)長雨に、一種の希望を抱いていました。

長雨。そして、気温の低下。

この二つの条件から、ある仮説が浮かびます。

これなら、彼岸花が見つかるかもしれない。

彼岸花は、筆者の好きな花の一つです。開花の時期は気温や天候にも左右されますが、今回の長雨と気温の低下は、花を探すうえで期待できる条件でした。

もちろん、咲いているかどうかは現地に行かなければ分かりません。季節を逆算したところで、花の開花まで思いどおりになるわけではないのです。

それでも、探す理由はありました。

10:35の発見

きちんと見つけました。

場所は、天寧寺のすぐ近く。

ここで重要なのは、彼岸花を見つけたことそのものだけではありません。

今回の発見は、完全な偶然というわけではなかったのです。

  • 筆者の知っている距離感
  • 何千枚と撮ってきた彼岸花の写真
  • 経験を重ねたレンズ

これらがそろっていました。

どこまで歩けば何がありそうかという感覚があり、彼岸花をどう撮ればよいかという経験もある。そこに、季節と天候の条件が加わりました。

狙った一枚を撮るのは得意です。

特に、雨露との取り合わせは筆者の得意とするところです。

花が咲いているかどうかは、こちらでは決められません。しかし、咲いている可能性を考えて探し、見つけた花をどう撮るかについては、自分の経験を活かせます。

前回の記事で紹介した「向こう10年は撮れないであろう写真」とは、また違う話です。

あちらが予測しきれない出会いだったとすれば、こちらは、条件を読み、経験を使って狙いにいった一枚。

旅先で写真を撮るという行為にも、こうした違いがあるのです。

推し寺:天寧寺

彼岸花を見つけたあと、筆者が向かったのは天寧寺でした。

ここは尾道を訪れるたびに、確実に立ち寄っているお寺です。

特に好きなのが、釈迦堂の畳の空間。雨の中を歩いてきた身体を休めるには、ちょうどよい場所です。今回は、ここで時間を過ごす算段もつけていました。

午前11時20分には商店街へ戻りたい。千光寺公園からの移動時間を考えれば、どこかで休憩する時間も必要になります。

そこで、何度も訪れている天寧寺を組み込む。

初めて訪れる場所であれば、どれぐらい時間を使うことになるか分かりません。しかし、勝手を知っている場所なら、滞在時間も見積もりやすくなります。

時間を埋めるために、適当な場所へ立ち寄ったわけではありません。

好きな場所で休みながら、帰還時刻も守る。

これもまた、筆者なりの時間配分です。

「ワークか、ケーフェイか」

ここで、釈迦堂の写真についても触れておきましょう。

筆者がこの場所で撮る写真には、もう一つの役割があります。

それは、レンズキャップ代わりに使う写真であること。

2024年の尾道旅行でも、同じ構図で撮影しています。今回も、そこで撮った写真をしっかりと再現しました。

もちろん、まったく同じ場所で撮れば、まったく同じ写真になるわけではありません。光の入り方も、天候も、そのときの空間の雰囲気も異なります。

それでも、同じ構図を再現できるということは、撮影する場所やカメラの向き、画面に何を収めるかを把握しているということです。

そして、ここで思い出すのが、プロレスにおける「ケーフェイ」という概念です。

ケーフェイとは、プロレスの演出や舞台裏に関わる事柄を、観客に対してどのように扱うかという慣習や考え方を指します。プロレスを楽しむうえでは、見せるものと見せないもの、その境界もまた重要な要素になります。

では、筆者が同じ構図を再現していることは、ワークなのか、ケーフェイなのか。

……という話を始めると、また長くなりそうなので、ここでは写真の話に戻りましょう。

今回の写真は、偶然そこにカメラを向けた結果ではありません。以前に撮った構図を覚えていて、今回も同じように撮影できる。つまり、意図して再現できる写真なのです。

一方で、写真に写る雨の日の空気や、その場で過ごした時間まで、完全に再現できるわけではありません。

同じ場所、同じ構図でも、そこに至るまでのストーリーは毎回違います。

雨音での休憩

釈迦堂で過ごす時間は、単に雨を避けるためだけのものではありませんでした。

降り続ける雨の音を聞きながら、ここまでの道のりを思い返す。

そして、思い出ノートに記帳する。

旅先で見たもの、歩いた場所、そのときに考えたこと。そうした記録を残す時間も、筆者にとっては旅の一部です。

外を歩き続けていれば、次々と新しい景色に出会えます。しかし、立ち止まって振り返ることで、歩いてきた時間そのものを記録に変えることもできます。

今回は、雨がそのための時間を作ってくれました。

もちろん、最初から「ここで雨音を聞きながらノートを書こう」と決めていたわけではありません。

それでも、休憩できる場所を知っていて、戻る時刻から逆算して行動していたからこそ、こうした時間を確保できたのです。

11:15、再び商店街へ

そして、再び商店街へ。

時計を見ると、午前11時15分。

お昼を食べるために戻ってくる予定だった時刻は、午前11時20分です。

午前9時に始まり、午前11時20分に終える。

その時間計算は、極めてちょうどよく収まりました。

彼岸花を見つけ、推し寺で休憩し、写真を撮り、思い出ノートに記帳する。これだけのことをしながら、予定していた時刻に戻ってこられたのです。

もちろん、すべてが計算どおりだったわけではありません。彼岸花が咲いていたことも、雨の中でどんな景色に出会うかも、完全には予測できません。

しかし、時間の枠を決め、知っている場所を活用し、季節と天候から可能性を考えることはできました。

時間を逆算し、季節を読み、経験を使って動く。

今回の尾道で筆者がやっていたのは、そういうことだったのです。

さて、ようやくお昼ご飯です。

ここから先にも、まだ尾道での出来事が続きます。

ピボット旅行2026-15『かならず朝は来る』

はじめに

「かならず朝は来る」

この言葉は、朝ドラ『てっぱん』のキャッチフレーズであり、総集編でも語られていた言葉です。

そして、もうひとつ。

「かならず腹はへる」

このふたつの言葉を、筆者は「どんなことがあっても、生きている限り時は進むし、生命活動は続く」という意味で受け取っています。

何があっても朝は来る。お腹もすく。昨日と同じように見える日常も、少しずつ先へ進んでいく。

今回の旅行を待つ間も、朝が来るたびに「旅行がまた近づいた」と思っていました。

そして、ようやく、またこの地を踏む日がやって来ました。

千光寺と千光寺公園

尾道になぜ惹かれるのかについては、先述したとおりです。

その中でも別格と言えるのが、千光寺と千光寺公園からの眺望。筆者の好きな景色を、これでもかというほど詰め込んだような場所です。

ここは、筆者にとっての尾道の原風景とも言える場所です。

瀬戸内の海と島々、街並み、山の斜面に連なる家々。そうした景色をひとつの眺望として見渡せることが、何度訪れても心に残ります。

そして今回は、前項で触れた雨の気配も連れて、この景色を見に来ました。

やって来た朝

では、写真のご紹介と行きましょう。

朝ドラ『てっぱん』でも出てきたポンポン石。

空が灰色でもしっかりと分かる島々。そして造船ドッグの工業美。

尾道のロープウェイ。

そして、千光寺後援を後にします。

ピボット旅行-断章『That’s not a Prediction, that’s a SPOILER!』

はじめに

「That's not a Prediction, that's a SPOILER!」
「それは予測ではない。ネタバレだ!」

この言葉を聞いて、プロレスファン、とりわけWWEを見ている方なら、ポール・ヘイマンの顔を思い浮かべるでしょう。

ポール・ヘイマン。1990年代にECWを率いてWWF(現WWE)、WCWと熾烈な視聴率争いを演じ、現WWEではブロック・レスナーをはじめとする数々の大物レスラーのマネージャーを務めてきた人物です。

彼の武器は、リング上での格闘技術ではなく、マイク一本で状況を支配する話術にあります。

自分の担当するレスラーがいかに強いのか。対戦相手がいかに無謀なことをしようとしているのか。そして、これから何が起きるのか。ヘイマンは、試合が始まる前からそれを観客に叩き込みます。

「うちの選手が勝つでしょう」などという、曖昧な予想ではありません。勝つことは決まっている。あとは、現実がその結末に追いつくのを待つだけ。

だから、これは予測ではありません。ネタバレなのです。

私は、この食えない言い回しが好きです。

もちろん、人格者として尊敬しているとか、人生の師にしたいとか、そういう話ではありません。言葉巧みに相手を追い込み、逃げ道を塞ぎ、最後には「だから言ったでしょう?」とでも言いたげな顔をする。あの悪徳参謀じみた立ち回りがギミックとして最高に好きです。

プロレスは、リングの上だけで完結するものではありません。試合前の宣言も、選手同士の対立も、勝敗が決した後の反応も含めて、一つの物語を形作っています。

ヘイマンは、その物語を語るだけでなく、ときには結末を先に宣言することで、観客にその瞬間を見届けさせるのです。

さて。

そんな言葉が、今回の旅で私の脳内に響くことになりました。場所は尾道、千光寺です。

千光寺にて

千光寺を参詣の折、風鈴の音が聞こえました。音のする方に目を向けると、そこには色とりどりの風鈴が並んでいました。

片手には傘。もう片方の手には、iPhone Air。

特別に写真を撮るつもりで構えていたわけではありません。風鈴の音が聞こえたので、スマートフォンを掲げ、シャッターを切りました。

それだけです。

画面を見て構図を吟味したわけでも、露出を調整したわけでもありません。片手は傘で塞がっていますから、両手でしっかりと構えることもできません。

いわば、ノールック撮影です。そのシャッターを切った途端、この言葉が響き渡りました。プレビューを見る前から、です。

「That's not a Prediction, that's a SPOILER!」
「それは予測ではない。ネタバレだ!」

一枚だけ

今回、掲載する写真は一枚だけです。

※個人情報につながる部分のみAIで消去しています

風鈴のガラスに映る光。色とりどりの短冊。奥へと続く風鈴の列。そして、手前に大きく写り込んだ風鈴。

きっちりと構図を整えた写真ではありません。むしろ、手前の風鈴が視界を遮り、短冊が重なり合い、画面の中には少々雑然とした印象すらあります。

風鈴を一つずつきれいに見せるのではなく、風鈴が並ぶ場所そのものを切り取ったような一枚になっています。写真を撮るために立ち止まったというより、風鈴の音に気づいたときの景色が、そのまま残っているような形で撮れました。

もちろん、毎回こんな写真が撮れるわけではありません。狙って再現できるものでもありません。

ネトフリのドキュメンタリー『WWE:UNREAL』でスーパースター、チェルシー・グリーンがペンタとのインタージェンダー・マッチを行ったときの言葉の方がより適切です。

「もう一度やれって言われてもムリ。完璧なものは再現できない」

まさにそんな形です。シャッターを切った後に、向こう10年は撮れないであろう写真が、そこにありました。

更にお気づきの通り、弊ブログの新たなヘッダーがこの画像です。

「よし、ヘッダーゲット!」と言うより先に脳内の悪徳参謀は、早くも勝利を宣言していたのです。

なので、改めて宣言します。

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ピボット旅行2026-14『なぜ筆者はゴリラルームと相性がよかったのか?』

今回、尾道での行動がうまく組み上がったのには、もう一つ理由があります。

筆者には、昔から妙な特技があります。

タイムコントロールが異様に得意なのです。

目的地までどうやって時間を過ごすか。そこまで歩くのに何分かかり、現地でどれぐらい滞在できるのか。そうした見積もりと実際の所要時間が、妙によく合います。

そのため、電車の待ち時間を単に過ごすだけではなく「ここまで楽しめる」も成立します。

もちろん、時計を見ずに何でも正確に当てられるという話ではありません。移動経路や目的地でやりたいことを把握したうえで、必要な時間を割り振り、実際の行動に合わせて調整する。これが、筆者はどうも得意らしいのです。

そして、この能力がゴリラルームの考え方と非常に相性がよかったというお話しです。

残された時間から逆算する

今回の尾道では、『パン屋行路』で買ったパンを商店街のベンチで食べ終えた時点で午前9時。そして、お昼のために午前11時20分には、もう一度この場所へ戻ってきたい。

つまり、使える時間は約2時間20分です。では、その時間で何をするか。

ここで筆者が選んだのは、千光寺公園まで徒歩で向かうことでした。

ロープウェイを利用すれば、山頂まで一気に移動できます。いわば垂直方向のショートカットです。しかし、駅から乗り場まで移動し、乗車を待ち、山頂から目的地へ歩くことまで考えると、必ずしも水平移動を含めた全体の時間が短くなるとは限りません。

垂直方向のショートカットは、必ずしも水平移動のショートカットではない。

これが今回の判断です。

徒歩であれば、自分のペースで進みながら、尾道の街を歩く時間そのものも楽しめます。目的地に着くためだけの移動ではなく、その過程も旅行の一部にできるわけです。

体調と体力も、計算に入れる

筆者が移動時間を見積もるとき、考慮するのは地図上の距離だけではありません。

その日の体調と体力で、どれぐらい動けるのか。

これも判断材料になります。ただし、ここには条件があります。初めて訪れる場所ではなく、何度も歩いたことのある場所であること。

既知のコースであれば、どこに坂があり、どこで足を止めたくなり、どれぐらい歩けば目的地に着くのか、おおよその感覚が身についています。そこに、その日の体調や体力を加味すれば、実行可能な移動時間を見積もりやすくなります。

さらに、逆算して「どこまで歩けるか」を考えることもできます。

午前11時20分には戻りたい。ならば、往復の移動時間を確保する。途中で見る場所や写真を撮る時間も必要になる。そうすると、どこまで進めるのか、どこで折り返すべきなのかが見えてきます。

単に「行けるところまで行く」のではなく、帰ってくる時刻から逆算して、行動できる範囲を決めるのです。

もちろん、これは何度も歩いた場所だからこそ成立する見積もりです。知らない道や、予想外の勾配、足元の状況まで正確に計算できるわけではありません。

今回は、何度も歩いている千光寺公園までのコースが頭に入っていました。あとは、そこに新しい変数を加えればよかったのです。

それが「雨の歩きづらさ」でした。

既知のコースに「雨」という変数を加える

晴天時なら、この道を歩くのにどれぐらい時間がかかるか。雨天なら、足元に注意するぶん、どの程度余裕を見込むべきか。現地で何を見て、どこまで回れば、午前11時20分に戻ってこられるか。

頭の中で、そうした条件を加えながら行動をシミュレーションしていきます。

もちろん、雨の影響を秒単位で計算できるわけではありません。しかし、コースそのものを知っているからこそ、普段との違いを考慮して、現実的な時間配分を組み立てられます。

知らない道を手探りで進むのと、知っている道に新しい条件を加えて歩くのとでは、必要な判断の量が違います。

そして、ここまで組み立ててしまえば、あとは現場で状況を見ながら進めばいい。

ゴリラルームがやっていること

WWEのゴリラルームも、決められた放映時間の中で番組を成立させなければなりません。

試合を盛り上げたい。選手の見せ場も作りたい。しかし、CMや次の番組進行や思わぬアクシデントの兼ね合いがあるため、好きなだけ時間を使うわけにはいきません。

残された時間を把握し、その中で何を見せるかを決める。状況が変われば、進行を調整する。

筆者が旅行中に行っていることも、構造としてはこれに近いのです。

午前11時20分という帰還時刻は固定する。その一方で、そこまでの経路や、現地でどれぐらい時間を使うかは調整できる。

「『時間』は守る 時間の『中身を充実させる』 『両方』やらなくっちゃあならないってのが旅人の辛いところだな……」

という感じです。その覚悟を決めるために脳内ゴリラルームが機能したのだと思います。

そもそも筆者は、旅行中に時間を見積もり、体調と体力を加味し、配分し、必要に応じて組み直すことを普段から行っていました。ゴリラルームという概念は、まったく新しい能力を授けてくれたのではありません。

すでに使っていた能力に、判断を組み立てるための名前と場所を与えてくれた。

雨で自転車を諦めたことも、朝食を買いそびれたことも、単なる予定変更では終わりません。(もちろん、前者に関しては大いなる苦渋の決断がありました)

再掲すると午前9時。お昼まで約2時間20分。目的地までの道は知っている。自分の体力も、おおよそ分かっている。ただし、今日は雨。

この条件から千光寺公園までの徒歩移動を選んだ時点で、筆者の脳内では、すでに次のストーリーラインが走り始めていたのでした。

尾道、こんなに歩きやすかったんだ

千光寺公園まで続く急な石段を登っている最中、筆者は妙なことを思いました。

「尾道、こんなに歩きやすかったんだ」

尾道には何度も来ています。千光寺周辺も歩いています。しかし、これまでの記憶を振り返ると、夏の盛りや残暑の厳しい時期に歩いていたことが多かったのです。

暑さそのものが体力を奪い、坂や石段を登るだけでも一苦労。しまなみ海道を自転車で走ったあとに尾道へ到着していたこともありました。町歩きの前に、すでに相応の疲労を抱えていたわけです。

ところが、今回は違いました。

  • 暑さによるデバフがない。
  • しまなみ海道を走ったあとの疲弊もない。
  • 雨には注意が必要ですが、気温の面では歩きやすい。

同じ町、同じ坂、同じ石段なのに、体の感じ方がまるで違うのです。

これまでの筆者は、尾道という町そのものを歩きにくい場所だと考えていたわけではありません。それでも、過去に歩いたときの体験が積み重なれば、その印象が基準になります。

しかし、その印象には、夏の暑さや自転車で走ったあとの疲労という条件が混ざっていました。

その条件が取り除かれたことで、初めて気づくことがあったのです。

尾道は、こんなにも歩くこと自体が気持ちいい町だったのか。

時間を逆算し、体力を見積もり、既知のコースを進んでいたはずが、そこで得たのは予定表には書き込めない発見でした。

そして、千光寺で待っていたのは、さらに別の出来事です。

向こう10年は撮れないであろう写真に出くわした。

時間を管理していたからこそ、そこまで歩いてくることができた。しかし、その時間を使って何に出会うかまでは、事前に決められません。

この、特別な一枚については次のエントリーで紹介できるでしょう。

ピボット旅行2026-13『脳内ゴリラルームのストーリー構築:パン屋行路』

はじめに

過日の投稿にて「脳内ゴリラルーム」を設置していると書きました。急ごしらえではありますが、今回の旅行、この概念を手に入れてから正解の目が多くなりました。

これを知ったのはNetflixのドキュメンタリー『WWE:UNREAL』から。

概要

そもそもゴリラルームとは? サクッとこんな感じです。

WWEにおける「ゴリラルーム(ゴリラ・ポジション / Gorilla Position)」とは、選手が入場ステージ(カーテン裏)へ向かう直前にある、試合・番組全体の指揮を執るバックステージの司令部(副調整室)のことです。

主な役割と特徴

  1. 番組進行のコントロール(司令塔)

モニター群やヘッドセットマイクが配置されており、最高責任者(長年指揮をとったビンス・マクマホンや、現在のトリプルHなど)やプロデューサー(ブッカー)陣が座り、番組の進行状況をリアルタイムで監視・指示します。

レフェリーのイヤホンへ指示を出したり、実況陣へコメントを指示したり、試合時間や展開の調整を行っています。

  1. 選手の最終準備と出撃の場

選手たちがリングに入場する直前に待機し、気持ちを整えたり、出番直前にプロデューサーから最終確認を受ける場所です。

  1. 試合直後のフィードバック

試合を終えてステージ奥へと戻ってきた選手を責任者や同僚が出迎え、パフォーマンスの評価や労いの言葉をかける場所でもあります。

これの面白い点として

  • RAW
  • SmackDown

の毎週の興行だけでなく

  • WrestleMania
  • SummerSlum
  • RoyalRumble

を含めた全てで「同じ広さ、同じ調度品、同じ色彩」で統一されているためバックステージとリング(花道)のレスラー達のスイッチのオフオンの場としても役立っているという点です。

なぜこれが必要だったのか?

予定外の出来事に直面したとき、毎回ゼロから考え直すのは大変です。

そこで、脳内にゴリラルームという概念を設けることで、潜在意識が判断のための場所を持てるようになりました。

予定が崩れたとき、意識的に考えるより先に「こう動けばいいのでは?」という選択肢が浮かんでくる。もちろん、必要に応じて意識的に考え直すこともできます。

今回の旅行で、その働きを実感しました。予定外の出来事を単なる失敗で終わらせず、次の展開へつなげる。脳内ゴリラルームは、そんな判断を助けてくれました。

ということで、今回の前置きからの旅行記、スタートです。

非情なる雨

筆者は旅における天候の運勢には自負があります。なので、「晴れてよかった」という心境ではなく

「この場にいる皆様は運がいい。この私の天候運に与れるのだから」

ぐらいの勢い。今回の旅も本来は「特急いしづちで今治まで輪行し、高速船を利用してしまなみ海道をある程度ショートカットしてサイクリングする」が予定でした。

なので、秋雨前線が停滞するという天気予報についても

「いや…… そんなはずはない」

でしたし、輪行を諦めたときも本当に涙を呑んだので。なので、2026年9月26日が雨という予報は確実だったとしても「雨雲が逸れるのでは」は朝、起きるまで確信していましたが……

「雨音で目が覚める」

時点で完全にお察し案件でした。そこで、本旅行記のテーマでもある「ピボット」が役に立ちます。雨天決行は本意ではありません。

「じゃあ、雨ならではの尾道の魅力を確かめろ」

と、早速、脳内のゴリラルームの面々がシナリオを練り始め、寝ぼけ眼で行動開始です。

「近さ故の難点」

不幸中の幸い、この雨を救ってくれたのは宿の立地。「高松駅までほぼ濡れずに行ける」という点です。

なので、その交通手段は心配していません。そしてルートも分かっています。瀬戸内海を突っ切り、岡山と広島の海岸線を真西に進みます。今回の尾道でやりたいことを鑑みても、朝6時頃に出立する必要がありました。

で、ここに一つ油断が生まれます。「実質的な駅ビルのホテルなのだから、駅に向かうのはギリギリでOK」という油断です。なまじっか出発できる時間を知っていたために「ホームにマリンライナーが入線する」というタイミングまで粘り、出立。

その結果「高松駅近くで朝食を買う」オプションが消えました。更に、乗り換えの岡山駅から尾道に接続する路線への乗り換え時間も短い。

脳内シナリオライターの指示

電車は8時台には尾道に到着します。お昼の予定を11時30分に取ると見積もったとしても結構なお時間です。何を食べようか? 思っていたときに件のシナリオライターが指示を出します。

「2024年の尾道、パン屋に寄ったよな? そこは朝からやっているのでは?」

そう、ネーミングの時点で勝利と言える『パン屋行路』の存在。志賀直哉の代表作であり、尾道滞在の折りに構想を練ったという文脈も完璧です。

朝7時からやってるし、雨の中でも飲食できる場所は商店街にあります。であればGoです。

2010年ぶりの「陸路での尾道到着」

海が見える 海が見えた

は林芙美子の一説。

尾道に到着するというタイミングでこれが脳裏に浮かぶ肩はそれなりに多いと思いますが、「輪行」を知って依頼、尾道に到着するときは常に「向島/生口島から尾道水道を渡って」の尾道到着だった次第。なので、電車での尾道というのは逆に新鮮。

そして、雨の中、その林芙美子像を横目に見つつその店『パン屋行路』へと向かいます。

セレクト&オープン

このお店、独自ルールがあります。2人もすれ違うことができない店舗のため、一度に客が入れません。しばらく待って入店し、「これは……!」と思うものをチョイスして会計。早速、近くのベンチで開封です。

「見た目からして勝利」

でした。

グリーンカレーパン

カレーパンはそれこそ食べ慣れていますが、タイの名物料理「グリーンカレー」は話が別です。そもそもあれ、パンにできるのか…… 思いつつ口にしたら、しっかりグリーンカレーでした。

青唐辛子の鮮烈な辛味、レモングラスの香り、ココナツミルクのコク、そこに鶏肉やエノキ、茄子がベストマッチ。そもそもこれらの濃厚なフィリングを受け止めるだけのパンがなければこれを野郎とは思いません。実にいい意味で“INSANIA”と叫びたくなるものでした。

ベーグル

このお店の看板商品。多様なベーグルが並んでいて、どれもおいしそうなものでしたが:脳内シナリオライターが商品セレクトの際に的確に指示を出していました。「カレーの辛味に合うものはこれだ」と。

ずんだ豆を練り込んだ生地とクリームチーズ入りのベーグル。

この辺りの、食べたもの/食べるものからの組み合わせをしっかりと選んでくれたのは感謝です。ずんだ豆の甘味、もちもち生地のベーグル。そして「これでもか」と円筒に入ったクリームチーズ。

いずれも、予め持っておいたお茶とぴったりの味わい。

何より大事な「情報と一緒に食べた」

移動の疲れや昨日の空腹を満たし、胃袋を満足させるご飯。それ以上に「尾道ご当地の名店の焼きたてを、尾道で食べている。それも雨の中」という情報は「単においしいパンを食べた」だけでは終わりません。

未だにその香りや歯ごたえ、そして空気感すら記憶として思い出せる味。

そうして、高松で朝ご飯を買い忘れたというアクシデントが「最高のドラマ」となったのは、ピボット大成功と言うべきでしょう。

ここでのゴリラルームの働きは、単なる「臨機応変に考えよう」という精神論ではありません。過去の旅行記録を材料に、潜在意識が次の行動候補を組み立てているというのが、今回の発見なのだと思います。

ピボット旅行2026-断章『尾道という特異点』

今回の旅行、様々な予定変更がありましたが、断固として変えなかった旅程があります。「どんな状況であろうと尾道に訪れる」です。

本ブログでも2024年に訪れたという記録があります。高松から尾道、いくら「東京からは近い」とはいえ決して近い場所ではありません。

それでも「1回の乗り換えで行ける以上は行く」という強い意志で臨みました。

はじめに

筆者は、なぜこれほどまでに尾道に惹かれるのでしょうか。

瀬戸内海には魅力的な町が数多くあります。今回の旅行でも高松や徳島を訪れましたし、再訪したい場所も増えました。それでも、尾道にはほかの町とは少し違う、何度でも戻りたくなる何かがあります。

今回の旅行では、当初、ブロンプトンを連れていくつもりでした。しかし、天候などを考慮した結果、自転車は家に置いていくことになりました。

これは、筆者にとって簡単な判断ではありませんでした。

また、今回は2010年以来、実に16年ぶりに尾道駅を利用して尾道に降り立つことになります。これまで何度も訪れてきた町ですが、こうして振り返ってみると、訪れ方ひとつをとっても変化していることに気づきます。

だからこそ、旅行記の2日目に入る前に、改めて考えてみたいと思います。

筆者は尾道の何に惹かれているのでしょうか。そして、自転車を置いていくことは、尾道を訪れる意味を損なうのでしょうか。

そこで、今回、蔵出しということで、2010年や2016年の写真をご紹介します。

町全体がひとつの箱庭になっている

尾道の特徴のひとつは、海と島、そして山がつくる独特の地形です。

2010年4月の風景

水平線の向こうまで視界が開ける海ではなく、尾道水道を挟んですぐ目の前に向島があり、その向こうにも海が広がっています。海があり、島があり、また海がある。この重なりが、視界をほどよく区切っています。

千光寺公園などの高台に上がれば、尾道水道と町並みを一望できます。細い路地を歩いているときには気づかなかった町の構造が、少し高い場所から眺めることで見えてくるのです。

町の中にいるときも、町全体を眺めているときも、どこかに自分の居場所を見つけられる。

筆者にとって、この箱庭のような空間構造は、尾道に感じる安心感の大きな要因なのではないかと思っています。

古い寺社と巨大な造船所が同居する町

もうひとつ、尾道には不思議な取り合わせがあります。

山肌に沿って寺社仏閣が連なり、細い坂道や路地が続く。その一方で、尾道水道の対岸や沿岸には、造船所のドックや巨大なクレーンが存在しています。

片や、長い時間をかけて受け継がれてきた祈りの場所。片や、現代の産業を支える鉄と機械の風景です。

しかし、尾道ではそれらが無理に調和させられているようには見えません。寺社も造船所も、観光客のために用意された舞台装置ではなく、町の生活や仕事を支える場所として存在しています。

まだ尾道城(解体前)があった頃

尾道は、過去の町並みを保存しただけの観光地ではありません。かといって、産業だけが前面に出た工業地帯でもありません。古いものと新しいもの、静かなものと力強いものが、互いを排除することなく同じ風景の中に収まっています。

この飾り気のなさも、筆者が尾道に惹かれる理由のひとつです。

2008年、立ち止まった自分を受け止めてくれた町

ただし、尾道への思い入れは、町の地形や景観だけでは説明できません。

2008年、筆者は心身の調子を崩し、仕事を休んでいた時期に尾道を訪れています。3泊の旅行でした。

休業中という状況には、当然ながら不安がありました。日常から離れたからといって、抱えている問題がなくなるわけではありません。それでも、尾道で過ごす時間は、そうした現実からいったん距離を置く機会になりました。

そこで出会ったのは、観光客向けに整えられた非日常というよりも、そこに暮らす人々の日常でした。

町には生活があり、仕事があり、長い時間をかけて積み重ねられてきた営みがあります。特別な何かを演出しなくても、そこに人が暮らしている。その当たり前の風景が、当時の筆者には心地よく感じられたのだと思います。

尾道が筆者を立ち直らせてくれた、とは言い切りません。ただ、立ち止まらざるを得なかった時期に、もう一度自分の足元を確かめるための時間を過ごせた。その経験が、尾道という町を特別な場所にしたことは間違いないでしょう。

『かみちゅ!』で、あの町の見え方が変わった

そして、尾道への思い入れを語るうえで、もうひとつ欠かせないものがあります。

アニメ『かみちゅ!』です。

御袖天満宮に奉納されていた痛車絵馬

ただし、ここでも少し順序が変わっています。

筆者は、作品を見てから尾道を訪れたわけではありません。先に尾道という町を知っていました。そこから『かみちゅ!』の世界に出会うことになります。

きっかけとなったのは旅行中に訪れた尾道商店街の『かみちゅ!』パネル展示でした。展示を通して作品に触れ、そこから原作を知ることになります。

そして、作品について知れば知るほど、不思議なことに気づきます。

  • 「あれ、このアニメの風景、訪れてるぞ?」
  • 「なんで聖地が全部あるんだ?」

順序が逆なのです。

先に尾道を知っていたのですから、作品に登場する風景に見覚えがあるのは当然といえば当然です。しかし、作品を通して町を知るのではなく、知っていた町を通して作品の世界を理解していくというのは、なかなか面白い経験でした。

いわゆる聖地巡礼とは、逆向きの出会いだったわけです。

『かみちゅ!』では、神様という特別な存在が、日常生活から切り離された遠い場所にいるわけではありません。学校や商店街、坂道や町の風景の中に、ごく自然に存在しています。

その世界観は、筆者が尾道で感じていたものと不思議なほど重なりました。

町の中に特別なものがあるというより、何気ない日常のすぐ隣に、特別なものが存在している。

もちろん、作品と現実の町が完全に同じというわけではありません。それでも、先に身体で覚えていた風景に、作品を通して新しい意味が加わった。その出会いは、筆者にとって忘れがたいものになりました。

余談:自室の主祭神

ちなみに、筆者の自室にはフィギュア棚があります。

そこには『ライザのアトリエ』のライザをはじめ、いろいろなフィギュアが並んでいます。そんな棚の中に、ひときわ特別な位置を占めている方がいらっしゃいます。

自室のフィギュア主祭神、百合恵様

一橋ゆりえ様です。

ライザを差し置いて、筆者はゆりえ様を「自室の主祭神」と定義しています。

神様が日常のすぐ隣にいる。それどころか、自室のフィギュア棚に鎮座している。

『かみちゅ!』の世界観を考えると、ずいぶんと筋の通った話ではないでしょうか。少なくとも筆者の中では、尾道で出会ったものが、作品を経由して自室にまで持ち帰られているわけです。

……もっとも、ライザにしてみれば、錬金術で何とかできない相手が自室に君臨していることになります。なかなか大変な話です。

ブロンプトンが広げてくれた尾道

そして現在、尾道を訪れるときには、もうひとつの視点が加わっています。

ブロンプトンという小径車です。

2018年の尾道

徒歩で歩き尽くした坂道や路地も、自転車があれば移動の感覚が変わります。渡船で尾道水道を越え、対岸を走り、さらにしまなみ海道へと漕ぎ出すこともできます。

徒歩で知った町を、自転車で走ることで再解釈する。自転車は、尾道という町の魅力を広げてくれる道具になりました。

だからこそ、今回、自転車を置いていく判断には迷いがありました。

尾道を自転車で走る。その楽しみを知っているからこそ、そこを諦めることは、旅の大きな楽しみをひとつ手放すことでもあります。

しかし、ここでひとつ、整理しておく必要があります。

自転車で尾道を走ることと、尾道を訪れることは、同じではありません。

ブロンプトンがあれば、尾道でできることは増えます。徒歩では少し遠かった場所へ足を延ばし、渡船で対岸へ渡り、しまなみ海道へと走り出すこともできます。

けれども、自転車がなければ尾道の魅力が失われるわけではありません。

尾道水道を眺めることも、坂道を歩くことも、町の中に息づく日常に触れることもできます。2008年に筆者が惹かれたものは、ブロンプトンがなければ出会えないものではありませんでした。

自転車は尾道を楽しむための大切な手段です。しかし、尾道そのものではありません。

ここを取り違えてしまえば、自転車を持っていくこと自体が旅の目的になってしまいます。道具を使うために旅をするのか、それとも、訪れたい町があるから道具を連れていくのか。

少なくとも筆者にとって、尾道は後者です。

もう一度、尾道へ

尾道には、筆者が惹かれる理由がいくつもあります。

町をほどよく囲い込む地形。寺社と造船所が同居する風景。立ち止まっていた時期に過ごした時間。そして、後から出会った作品によって新しい意味を与えられた記憶。

それらは別々の理由のようでいて、どこかでつながっています。

尾道は、日常から離れられる場所でありながら、日常そのものが息づいている場所です。安心して立ち止まることができる一方で、そこからまた外へ向かうこともできます。

だからこそ、筆者は何度でも尾道に戻りたくなるのでしょう。

今回はブロンプトンを置いていきました。それは、尾道への思いを諦めたからではありません。むしろ、何を求めて尾道へ向かうのかを考えた結果でした。

自転車で走る尾道も好きです。しかし、筆者が訪れたいのは、自転車で走るためだけの尾道ではありません。

尾道という町そのものに、もう一度会いに行きたいのです。

2010年以来となる、尾道駅から始まる今回の旅。いつもの相棒を連れていかないからこそ、改めて見えてくるものもあるかもしれません。

それでは、旅行記の2日目に進みます。

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