はじめに

前の投稿では、時間の逆算についてお話ししました。

残された時間を把握し、その中で何を見せるかを決める。状況が変われば、進行を調整する。

筆者が旅行中に行っていることも、構造としてはこれに近いのです。

午前11時20分という帰還時刻は固定する。その一方で、そこまでの経路や、現地でどれぐらい時間を使うかは調整できる。

しかし、今回逆算していたのは時間だけではありません。

「季節」もしっかり逆算していた、というお話です。

10:30の仮説

尾道、千光寺公園。

ここで筆者は、ブロンプトンを断念した(これは擦り続けます)長雨に、一種の希望を抱いていました。

長雨。そして、気温の低下。

この二つの条件から、ある仮説が浮かびます。

これなら、彼岸花が見つかるかもしれない。

彼岸花は、筆者の好きな花の一つです。開花の時期は気温や天候にも左右されますが、今回の長雨と気温の低下は、花を探すうえで期待できる条件でした。

もちろん、咲いているかどうかは現地に行かなければ分かりません。季節を逆算したところで、花の開花まで思いどおりになるわけではないのです。

それでも、探す理由はありました。

10:35の発見

きちんと見つけました。

場所は、天寧寺のすぐ近く。

ここで重要なのは、彼岸花を見つけたことそのものだけではありません。

今回の発見は、完全な偶然というわけではなかったのです。

  • 筆者の知っている距離感
  • 何千枚と撮ってきた彼岸花の写真
  • 経験を重ねたレンズ

これらがそろっていました。

どこまで歩けば何がありそうかという感覚があり、彼岸花をどう撮ればよいかという経験もある。そこに、季節と天候の条件が加わりました。

狙った一枚を撮るのは得意です。

特に、雨露との取り合わせは筆者の得意とするところです。

花が咲いているかどうかは、こちらでは決められません。しかし、咲いている可能性を考えて探し、見つけた花をどう撮るかについては、自分の経験を活かせます。

前回の記事で紹介した「向こう10年は撮れないであろう写真」とは、また違う話です。

あちらが予測しきれない出会いだったとすれば、こちらは、条件を読み、経験を使って狙いにいった一枚。

旅先で写真を撮るという行為にも、こうした違いがあるのです。

推し寺:天寧寺

彼岸花を見つけたあと、筆者が向かったのは天寧寺でした。

ここは尾道を訪れるたびに、確実に立ち寄っているお寺です。

特に好きなのが、釈迦堂の畳の空間。雨の中を歩いてきた身体を休めるには、ちょうどよい場所です。今回は、ここで時間を過ごす算段もつけていました。

午前11時20分には商店街へ戻りたい。千光寺公園からの移動時間を考えれば、どこかで休憩する時間も必要になります。

そこで、何度も訪れている天寧寺を組み込む。

初めて訪れる場所であれば、どれぐらい時間を使うことになるか分かりません。しかし、勝手を知っている場所なら、滞在時間も見積もりやすくなります。

時間を埋めるために、適当な場所へ立ち寄ったわけではありません。

好きな場所で休みながら、帰還時刻も守る。

これもまた、筆者なりの時間配分です。

「ワークか、ケーフェイか」

ここで、釈迦堂の写真についても触れておきましょう。

筆者がこの場所で撮る写真には、もう一つの役割があります。

それは、レンズキャップ代わりに使う写真であること。

2024年の尾道旅行でも、同じ構図で撮影しています。今回も、そこで撮った写真をしっかりと再現しました。

もちろん、まったく同じ場所で撮れば、まったく同じ写真になるわけではありません。光の入り方も、天候も、そのときの空間の雰囲気も異なります。

それでも、同じ構図を再現できるということは、撮影する場所やカメラの向き、画面に何を収めるかを把握しているということです。

そして、ここで思い出すのが、プロレスにおける「ケーフェイ」という概念です。

ケーフェイとは、プロレスの演出や舞台裏に関わる事柄を、観客に対してどのように扱うかという慣習や考え方を指します。プロレスを楽しむうえでは、見せるものと見せないもの、その境界もまた重要な要素になります。

では、筆者が同じ構図を再現していることは、ワークなのか、ケーフェイなのか。

……という話を始めると、また長くなりそうなので、ここでは写真の話に戻りましょう。

今回の写真は、偶然そこにカメラを向けた結果ではありません。以前に撮った構図を覚えていて、今回も同じように撮影できる。つまり、意図して再現できる写真なのです。

一方で、写真に写る雨の日の空気や、その場で過ごした時間まで、完全に再現できるわけではありません。

同じ場所、同じ構図でも、そこに至るまでのストーリーは毎回違います。

雨音での休憩

釈迦堂で過ごす時間は、単に雨を避けるためだけのものではありませんでした。

降り続ける雨の音を聞きながら、ここまでの道のりを思い返す。

そして、思い出ノートに記帳する。

旅先で見たもの、歩いた場所、そのときに考えたこと。そうした記録を残す時間も、筆者にとっては旅の一部です。

外を歩き続けていれば、次々と新しい景色に出会えます。しかし、立ち止まって振り返ることで、歩いてきた時間そのものを記録に変えることもできます。

今回は、雨がそのための時間を作ってくれました。

もちろん、最初から「ここで雨音を聞きながらノートを書こう」と決めていたわけではありません。

それでも、休憩できる場所を知っていて、戻る時刻から逆算して行動していたからこそ、こうした時間を確保できたのです。

11:15、再び商店街へ

そして、再び商店街へ。

時計を見ると、午前11時15分。

お昼を食べるために戻ってくる予定だった時刻は、午前11時20分です。

午前9時に始まり、午前11時20分に終える。

その時間計算は、極めてちょうどよく収まりました。

彼岸花を見つけ、推し寺で休憩し、写真を撮り、思い出ノートに記帳する。これだけのことをしながら、予定していた時刻に戻ってこられたのです。

もちろん、すべてが計算どおりだったわけではありません。彼岸花が咲いていたことも、雨の中でどんな景色に出会うかも、完全には予測できません。

しかし、時間の枠を決め、知っている場所を活用し、季節と天候から可能性を考えることはできました。

時間を逆算し、季節を読み、経験を使って動く。

今回の尾道で筆者がやっていたのは、そういうことだったのです。

さて、ようやくお昼ご飯です。

ここから先にも、まだ尾道での出来事が続きます。