今回の旅行、様々な予定変更がありましたが、断固として変えなかった旅程があります。「どんな状況であろうと尾道に訪れる」です。
本ブログでも2024年に訪れたという記録があります。高松から尾道、いくら「東京からは近い」とはいえ決して近い場所ではありません。
それでも「1回の乗り換えで行ける以上は行く」という強い意志で臨みました。
はじめに
筆者は、なぜこれほどまでに尾道に惹かれるのでしょうか。
瀬戸内海には魅力的な町が数多くあります。今回の旅行でも高松や徳島を訪れましたし、再訪したい場所も増えました。それでも、尾道にはほかの町とは少し違う、何度でも戻りたくなる何かがあります。
今回の旅行では、当初、ブロンプトンを連れていくつもりでした。しかし、天候などを考慮した結果、自転車は家に置いていくことになりました。
これは、筆者にとって簡単な判断ではありませんでした。
また、今回は2010年以来、実に16年ぶりに尾道駅を利用して尾道に降り立つことになります。これまで何度も訪れてきた町ですが、こうして振り返ってみると、訪れ方ひとつをとっても変化していることに気づきます。
だからこそ、旅行記の2日目に入る前に、改めて考えてみたいと思います。
筆者は尾道の何に惹かれているのでしょうか。そして、自転車を置いていくことは、尾道を訪れる意味を損なうのでしょうか。
そこで、今回、蔵出しということで、2010年や2016年の写真をご紹介します。
町全体がひとつの箱庭になっている
尾道の特徴のひとつは、海と島、そして山がつくる独特の地形です。

水平線の向こうまで視界が開ける海ではなく、尾道水道を挟んですぐ目の前に向島があり、その向こうにも海が広がっています。海があり、島があり、また海がある。この重なりが、視界をほどよく区切っています。
千光寺公園などの高台に上がれば、尾道水道と町並みを一望できます。細い路地を歩いているときには気づかなかった町の構造が、少し高い場所から眺めることで見えてくるのです。
町の中にいるときも、町全体を眺めているときも、どこかに自分の居場所を見つけられる。
筆者にとって、この箱庭のような空間構造は、尾道に感じる安心感の大きな要因なのではないかと思っています。
古い寺社と巨大な造船所が同居する町
もうひとつ、尾道には不思議な取り合わせがあります。
山肌に沿って寺社仏閣が連なり、細い坂道や路地が続く。その一方で、尾道水道の対岸や沿岸には、造船所のドックや巨大なクレーンが存在しています。
片や、長い時間をかけて受け継がれてきた祈りの場所。片や、現代の産業を支える鉄と機械の風景です。
しかし、尾道ではそれらが無理に調和させられているようには見えません。寺社も造船所も、観光客のために用意された舞台装置ではなく、町の生活や仕事を支える場所として存在しています。

尾道は、過去の町並みを保存しただけの観光地ではありません。かといって、産業だけが前面に出た工業地帯でもありません。古いものと新しいもの、静かなものと力強いものが、互いを排除することなく同じ風景の中に収まっています。
この飾り気のなさも、筆者が尾道に惹かれる理由のひとつです。
2008年、立ち止まった自分を受け止めてくれた町
ただし、尾道への思い入れは、町の地形や景観だけでは説明できません。
2008年、筆者は心身の調子を崩し、仕事を休んでいた時期に尾道を訪れています。3泊の旅行でした。
休業中という状況には、当然ながら不安がありました。日常から離れたからといって、抱えている問題がなくなるわけではありません。それでも、尾道で過ごす時間は、そうした現実からいったん距離を置く機会になりました。
そこで出会ったのは、観光客向けに整えられた非日常というよりも、そこに暮らす人々の日常でした。
町には生活があり、仕事があり、長い時間をかけて積み重ねられてきた営みがあります。特別な何かを演出しなくても、そこに人が暮らしている。その当たり前の風景が、当時の筆者には心地よく感じられたのだと思います。
尾道が筆者を立ち直らせてくれた、とは言い切りません。ただ、立ち止まらざるを得なかった時期に、もう一度自分の足元を確かめるための時間を過ごせた。その経験が、尾道という町を特別な場所にしたことは間違いないでしょう。
『かみちゅ!』で、あの町の見え方が変わった
そして、尾道への思い入れを語るうえで、もうひとつ欠かせないものがあります。
アニメ『かみちゅ!』です。

ただし、ここでも少し順序が変わっています。
筆者は、作品を見てから尾道を訪れたわけではありません。先に尾道という町を知っていました。そこから『かみちゅ!』の世界に出会うことになります。
きっかけとなったのは旅行中に訪れた尾道商店街の『かみちゅ!』パネル展示でした。展示を通して作品に触れ、そこから原作を知ることになります。
そして、作品について知れば知るほど、不思議なことに気づきます。
- 「あれ、このアニメの風景、訪れてるぞ?」
- 「なんで聖地が全部あるんだ?」
順序が逆なのです。
先に尾道を知っていたのですから、作品に登場する風景に見覚えがあるのは当然といえば当然です。しかし、作品を通して町を知るのではなく、知っていた町を通して作品の世界を理解していくというのは、なかなか面白い経験でした。
いわゆる聖地巡礼とは、逆向きの出会いだったわけです。
『かみちゅ!』では、神様という特別な存在が、日常生活から切り離された遠い場所にいるわけではありません。学校や商店街、坂道や町の風景の中に、ごく自然に存在しています。
その世界観は、筆者が尾道で感じていたものと不思議なほど重なりました。
町の中に特別なものがあるというより、何気ない日常のすぐ隣に、特別なものが存在している。
もちろん、作品と現実の町が完全に同じというわけではありません。それでも、先に身体で覚えていた風景に、作品を通して新しい意味が加わった。その出会いは、筆者にとって忘れがたいものになりました。
余談:自室の主祭神
ちなみに、筆者の自室にはフィギュア棚があります。
そこには『ライザのアトリエ』のライザをはじめ、いろいろなフィギュアが並んでいます。そんな棚の中に、ひときわ特別な位置を占めている方がいらっしゃいます。

一橋ゆりえ様です。
ライザを差し置いて、筆者はゆりえ様を「自室の主祭神」と定義しています。
神様が日常のすぐ隣にいる。それどころか、自室のフィギュア棚に鎮座している。
『かみちゅ!』の世界観を考えると、ずいぶんと筋の通った話ではないでしょうか。少なくとも筆者の中では、尾道で出会ったものが、作品を経由して自室にまで持ち帰られているわけです。
……もっとも、ライザにしてみれば、錬金術で何とかできない相手が自室に君臨していることになります。なかなか大変な話です。
ブロンプトンが広げてくれた尾道
そして現在、尾道を訪れるときには、もうひとつの視点が加わっています。
ブロンプトンという小径車です。

徒歩で歩き尽くした坂道や路地も、自転車があれば移動の感覚が変わります。渡船で尾道水道を越え、対岸を走り、さらにしまなみ海道へと漕ぎ出すこともできます。
徒歩で知った町を、自転車で走ることで再解釈する。自転車は、尾道という町の魅力を広げてくれる道具になりました。
だからこそ、今回、自転車を置いていく判断には迷いがありました。
尾道を自転車で走る。その楽しみを知っているからこそ、そこを諦めることは、旅の大きな楽しみをひとつ手放すことでもあります。
しかし、ここでひとつ、整理しておく必要があります。
自転車で尾道を走ることと、尾道を訪れることは、同じではありません。
ブロンプトンがあれば、尾道でできることは増えます。徒歩では少し遠かった場所へ足を延ばし、渡船で対岸へ渡り、しまなみ海道へと走り出すこともできます。
けれども、自転車がなければ尾道の魅力が失われるわけではありません。
尾道水道を眺めることも、坂道を歩くことも、町の中に息づく日常に触れることもできます。2008年に筆者が惹かれたものは、ブロンプトンがなければ出会えないものではありませんでした。
自転車は尾道を楽しむための大切な手段です。しかし、尾道そのものではありません。
ここを取り違えてしまえば、自転車を持っていくこと自体が旅の目的になってしまいます。道具を使うために旅をするのか、それとも、訪れたい町があるから道具を連れていくのか。
少なくとも筆者にとって、尾道は後者です。
もう一度、尾道へ
尾道には、筆者が惹かれる理由がいくつもあります。
町をほどよく囲い込む地形。寺社と造船所が同居する風景。立ち止まっていた時期に過ごした時間。そして、後から出会った作品によって新しい意味を与えられた記憶。
それらは別々の理由のようでいて、どこかでつながっています。
尾道は、日常から離れられる場所でありながら、日常そのものが息づいている場所です。安心して立ち止まることができる一方で、そこからまた外へ向かうこともできます。
だからこそ、筆者は何度でも尾道に戻りたくなるのでしょう。
今回はブロンプトンを置いていきました。それは、尾道への思いを諦めたからではありません。むしろ、何を求めて尾道へ向かうのかを考えた結果でした。
自転車で走る尾道も好きです。しかし、筆者が訪れたいのは、自転車で走るためだけの尾道ではありません。
尾道という町そのものに、もう一度会いに行きたいのです。
2010年以来となる、尾道駅から始まる今回の旅。いつもの相棒を連れていかないからこそ、改めて見えてくるものもあるかもしれません。
それでは、旅行記の2日目に進みます。