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ピボット旅行2026-26『あるのがいけない!! Part2』

はじめに

とんでもない商店街だと理解らされた筆者に、更なる物欲が待っていました。

筆者のお茶の運用

ルピシア。筆者お気に入りのフレーバーティーを多数揃えており、筆者の「フレーバーティーという名の沼(1773年のボストン港ではないことに注意)」に、際限なく茶葉と水を供給し続けてきたお店です。

ただし、筆者には「買ったお茶を確実に飲みきる」という信条があります。

そのため、茶葉ごとに管理番号を振り、入手日・開封日・消費完了日を記録しています。種別やベース、購入先も管理対象です。

2025年はルピシアが中心で、80銘柄を記録しました。

2026年は様子が変わっています。大容量の茶葉を扱うボンマルシェを中心に、お気に入りを続けて飲むスタイルへ移行。カルディなど、ほかのお店で出会ったお茶も飲むようになりました。

項目2025年2026年
主な購入先ルピシアボンマルシェ、カルディなど
購入スタイル福袋中心好みのお茶を個別購入
飲み方幅広く試すお気に入りを続けて飲む
管理入手・開封・消費日を記録同じ方法で継続

背景には、昨今の値上げラッシュがあります。福袋は確かにお得ですが、好みでないお茶が混じることもあります。お気に入りでないお茶とは言え、手元にある者は飲みきる性分。

それならば、お気に入りをじっくり飲みつつ、新たなブレンダーのお茶を味わうのも一興です。

こうして筆者のお茶の運用は変化していました。

そして、ルピシアへ

そんな中でのルピシアは、「地元に行けば荷物も増えなくて済むし……」ぐらいの勢いでした。

しかし、前項でお話ししたとおり、秋雨が降り注いでいます。ここで時間を過ごすと決めた以上、入るのも一興です。

店内に入ってすぐのところで、見てしまいました。見つけてしまいました。

「四国限定フレーバーティー/ルイボスティー」

試供品の香りを確かめます。

あるのがいけない!! あるのがいけない!!

買っていました。何という即落ち2コマ。

ルイボスティーはそれほど飲まない筆者がカゴに入れたのですから、相当です。

追加で買った理由

さて、翻って。筆者は既に尾道で結構な量のお茶を買っています。そのうえで「倍プッシュ」に等しい買い物をしたのは「ハードルが低くなった」からです。

筆者の座右の書『オサムシ教授の事件簿』に以下のくだりがあります。

少し前 世間では
『なぜ人を殺してはいけないのか?』
という問が流行したそうだ
君はどう思う?

人類の歴史は人殺しの歴史…
人は人を殺すものだから――――
でしょう?

そうだな
いつまでも互いに殺し合っていては
種の繁栄にマイナスだからだ
私は人間が勝手に作った
常識や法律のほとんどを
下らんと思っている
だが人は殺さない
なぜだと思う?

人を殺すと殺し続けなくてはいけなくなるからだ

人は慣れてゆく生き物だ
良くも悪くもどんなことにも――――
そしてハードルが低くなる

少し気に入らないだけで殺す
バレそうになったから殺す
殺した相手の身内が復讐に来るかもしれない――――
殺されたくないから殺す
どのみち“死の連鎖”からは逃げられない

何でそんな話…
私には関係ないのに

逆に罪悪感にさいなまれる者もいるだろう
その時は――――
自分を殺す――――
文字通り自殺するか
ドロップアウトし身も心もボロボロになり
死んだように生きていくか
やはり待っているのは“死”だ

ここで死生観や哲学を問う気はありませんしそういう話ではありません。問題はここ。

人は慣れてゆく生き物だ
良くも悪くもどんなことにも――――
そしてハードルが低くなる

筆者は既に7500円ほどお茶を買っています。なので

  • 「もう3~4000円ほど増えても荷物の一つになるだけ」
  • 「このお茶を飲めば、あとでこのたびのことをも出すからいいだろう」
  • 「腐るもんでもないし」

という、「購買の連鎖」がここにも適用されました。

ハードルの低さという継続

さて、上記を踏まえ、筆者のブログの更新頻度をご覧ください。2020年1月の下旬から、一日も休まずWordPressへの投稿を続けています。

これもまた、筆者の慣れであり、ハードルの低下です。

  • 体調が悪くても書いたから、「やる気がない」は理由にならない。
  • 一日一記事を続けてきたから、記事を書くこと自体が特別な行為ではなくなった。

生存報告のため書く。今日が一番新しい日だから書く。書きたいことがあるから書く。その積み重ねが、いつしか毎日更新という形になっています。

そして、ここまで続けてくると、書かないことの方が普段と違う状態になるのでしょう。

慣れは敵にも味方にもなる

お茶を買うときには、ハードルが下がることで、追加の出費に対する抵抗が薄れました。ブログを書くときには、ハードルが下がることで、執筆を始める心理的な負担が軽くなりました。(余談ですが、万年筆のすらすらとした書き心地も、状況を選ばずガシガシ書けるThinkPadも、その慣れを続ける一助になっています)

どちらも、繰り返すうちに行動が特別なものではなくなった結果です。

人は慣れてゆく生き物です。

その慣れが購買の連鎖につながることもあれば、長く続く習慣を作ることもある。今回のお茶の買い物は、そんな仕組みを改めて実感する出来事となりました。

あるのがいけない!!

さて、ここまで書いておいて何ですが、筆者は四国限定のお茶を買いました。既に尾道でお茶を買っていたことも、手元に飲むべき茶葉があることも承知のうえです。

それでも、目の前にお気に入りのお店があり、限定品があり、試供品の香りがよかった。

あるのがいけない!!

これに尽きます。そして、買った以上は、いつものように管理番号を振り、開封日を記録し、最後まで飲みきることになるのでしょう。

……こうして、筆者のお茶の沼は、まだまだ続くのです。それがたとえ、旅先であろうと。

ピボット旅行2026-25『崩れたバイアス-3- Cover is not the Book』

はじめに

高松を拠点に四国・中国地方を旅した2026年のピボット旅行。当初、筆者が高松に期待していたものは、それほど多くありませんでした。

四国と岡山・広島を行き来しやすい。うどんも本場で食べられる。それならば、旅の拠点として申し分ないだろう。その程度の認識です。

で、雨ばかりだったというのは既にお話ししたとおり。雨は更に厳しくなっているため、雨でも楽しめる近場のスポットをAIに尋ねてみます。そこで返ってきた答えが、高松中央商店街でした。

……商店街?

確かにアーケードがあれば雨に濡れずに歩ける。そういう意味では合理的な提案です。しかし、旅先でわざわざ商店街を歩く必要があるのだろうか。

筆者の頭の中には、地方の商店街に対する、ある種のイメージがありました。

  • どこか懐かしい店並み。
  • 地元の人たちが日用品を買いに来る場所。
  • 郊外型の大型商業施設に客を奪われ、シャッターの閉まった店舗が目立つ場所。

もちろん、筆者は高松中央商店街を歩いたことすらありません。それなのに、なぜか「商店街」という言葉だけで、見る前からその姿を想像できた気になっていました。

今回は、そんな自分の認識が崩れていった話です。

片原町から始まる「やっぱりね」

高松中央商店街、片原町エリアから歩き始めました。落ち着いた佇まいのアーケード。昔ながらの商店街らしい雰囲気。雨をしのぎながら歩くには、ちょうどいい場所です。

「うん、やっぱり地方のアーケード商店街だな」

歩き始めた筆者の感想は、そんなものでした。別に、悪い場所だと思ったわけではありません。土地ごとの日常を感じられるのは、旅の楽しみの一つです。

ただ、筆者の中では、この時点ですでに一つの分類ができあがっていました。

  • 地方の商店街。
  • 落ち着いた街並み。
  • 昔ながらの店。

雨の日に歩くには便利だけれど、わざわざ遠くから見に来るほどのものではないだろう。実際に目の前にある風景を見ながら、筆者はそれを、以前から知っていた商店街のイメージに当てはめていました。

そして、当てはまったことに納得していたのです。

「ほらね、やっぱり普通の商店街じゃないか」

今にして思えば、これが厄介なところでした。

筆者が歩いたのは、まだ商店街の一部にすぎません。それなのに、そこで見た景色をもって、全体もおおむね同じようなものだろうと考えてしまった。

知らないものを、知っているものの延長として理解する。その方が、いちいち考え直さなくて済みます。過去の経験を使って目の前のものを分類すれば、判断にかかる手間も少なくなります。

日常生活では、こうした判断が役立つ場面も多いでしょう。ただし、その分類が正しいかどうかは、また別の問題です。

そして、このときの筆者は、自分の分類が正しいかどうかを確かめる前に、すでに納得しかけていました。

「……ティファニー? ここ、表参道だっけ?」

そのまま歩いていき、丸亀町エリアに足を踏み入れたところで、様子が変わりました。まず、頭上のアーケードが異様に高い。

それまで歩いていた場所とは、空間の印象が明らかに違います。光が差し込む開放的な構造に、整然とした舗道。そして、沿道の店舗が目に入ってきました。

  • ルイ・ヴィトン。
  • シャネル。
  • グッチ。
  • ティファニーにエルメス。

「……え、LV? ここ高松だよね? 銀座か表参道の間違いじゃないよね?」

思わず立ち止まります。見上げれば、巨大なガラス屋根がドーム状に広がっています。イタリアのガレリアを思わせる空間に、ハイブランドの店舗が堂々と並んでいます。先ほどまで筆者が思い浮かべていた「地方の商店街」とは、ずいぶん違う光景でした。

ここで、ようやく自分の認識に不具合が生じます。いや、実際には、商店街の方は最初から何も間違っていません。間違っていたのは、商店街を歩く前から、その姿を知っているつもりになっていた筆者の方です。

しかも、片原町で感じた「予想通り」という印象が、丸亀町まで含めた商店街全体の評価にまで広がりかけていました。

最初に見た景色が、自分の先入観に合致した。だから、その先も同じだろうと思った。

もし、そこで引き返していたら、筆者は高松中央商店街について「地方の普通の商店街だった」という感想を持ち帰っていたかもしれません。

実際に歩いていない場所についてまで、です。

なぜ、自分の知っている範囲を世界の基準にしてしまうのか

ここで、今回の出来事を少し振り返ってみます。筆者が高松中央商店街に対して抱いていた先入観は、どこから来たのでしょうか。

高松に対する特別な悪感情があったわけではありません。商店街という存在そのものを否定していたわけでもありません。

筆者が知っていた商店街のイメージを、高松の商店街にも適用した。それだけのことです。しかし、考えてみると、これはなかなか乱暴な話です。

筆者は高松中央商店街について、事前に詳しく調べていたわけではありません。丸亀町の再開発についても、ハイブランドの店舗が並ぶことについても、現地を訪れるまでは知りませんでした。

つまり、判断するための情報が不足していたのです。それでも、人間は情報がそろうまで判断を保留するとは限りません(クソデカ主語)。手元にある経験や知識を使って、ひとまず目の前のものを理解しようとします。

未知のものを、既知のものに置き換える。そのおかげで、筆者たちは初めて訪れる場所でも、ある程度は迷わず行動できます。

ただ、その便利な仕組みには落とし穴があります。

自分が知っている範囲から作ったイメージを、いつの間にか対象そのものの特徴だと思い込んでしまうのです。筆者にとっての「地方の商店街」は、これまでに見聞きした経験から作られたイメージでした。ところが、実際に高松中央商店街を歩くと、そのイメージに収まらない場所がありました。

本来なら、そこで「自分の知っている商店街とは違うものがある」と考え直せばよかったのですが、以下のバイアスが発生していました。

  • 自分の経験を基準にして世界を見ること。
  • その基準に合致するものを見つけて、自分の認識を正しいと思い込むこと。

今回の出来事には、そうした認知バイアスの働きが表れていたように思います。

調べて分かった「奇跡の商店街」の背景

現地で受けた衝撃は、それだけでは終わりませんでした。

ホテルに戻ってから、高松丸亀町商店街について調べてみると、目の前に広がっていた景色には、きちんとした背景があることが分かりました。

高松丸亀町商店街は、自然に現在の姿になったわけではありません。

モータリゼーションの進展や郊外型商業施設の台頭など、全国の商店街が直面してきた課題に対して、地権者たちが一体となって再開発に取り組んできた場所です。

その過程では、土地の所有と利用を分離する仕組みなどが活用され、まちづくり会社を中心に街全体の再構築が進められました。また、単に店舗を新しくするだけではなく、広域から人を呼び込む商業空間を目指し、ハイブランドの店舗なども誘致しています。

筆者が現地で驚いた、開放感のあるアーケードや洗練された街並みは、そうした長年の取り組みの結果だったのです。

つまり、筆者が最初に抱いた「地方の商店街」というイメージでは、この場所が積み重ねてきた歴史も、再開発の工夫も、目指してきた街の姿も捉えられていませんでした。

知らなかったのだから、最初から理解できていなかったのは当然です。問題は、知らなかったことそのものではありません。知らないにもかかわらず、知っている範囲の情報だけで、分かったつもりになっていたことです。

自分のバイアスが崩れるということ

今回、筆者の認識を変えたのは、AIの推薦でした。

雨でも楽しめる場所として高松中央商店街を紹介され、ひとまず歩いてみた。片原町で予想通りだと感じ、そのまま南へ進んだところで、丸亀町の景色に驚かされた。

  • もし、AIに尋ねていなければ。
  • もし、片原町を歩いただけで満足していたら。
  • もし、最初に抱いた印象を疑わず、引き返していたら。

筆者は、自分の先入観を補強するだけで、この商店街を後にしていたかもしれません。最初の印象が間違っていたという事実だけではありません。

筆者には、自分が間違っているかもしれないと考えるきっかけが、最初から十分にあったわけではなかったのです。知らない場所について、知っている場所と似た印象を受けた。だから、知っている場所と同じようなものだと考えた。

それは、特別に愚かな判断だったわけではありません。手持ちの経験を使って未知のものを理解しようとする、ごく自然な流れだったのでしょう。

だからこそ、厄介なのです。

自分の経験を基準にすること自体は避けられないとしても、その基準が通用しない場所まで、同じ物差しで測ってしまうことはあります。

そして、自分の判断が間違っていたと気づくには、その物差しでは測れないものに出会う必要があるのかもしれません。

筆者が知っているつもりだった「地方の商店街」というカテゴリーは、現地を歩くうちに、少しずつ役に立たなくなっていきました。

自分の知っている範囲を世界の基準にしてしまうのは、なぜなのか。それは、知らないものを理解するために、自分がすでに持っている知識や経験を使うからでしょう。

では、その基準が目の前の現実と食い違っていたとき、筆者たちは自分の認識を修正できるのでしょうか。

少なくとも今回、筆者はAIの推薦に従って歩き続けたことで、自分の思い込みが通用しない景色に出会うことができました。

そして、旅の面白さは、見知らぬ土地の景色を楽しむことだけではないのだと、あらためて感じたのです。

自分が世界をどう見ているのか。その見方自体が、旅先で崩れることもある。

終わりにかえて -Cover is not the Book-

筆者が大好きな歌、『メリー・ポピンズ・リターンズ』の『本は表紙じゃ分からない(Cover is not the Book)』に書かれている

Cover is not the book / 心が目に見えないように本も
So open it up and take a look / 表紙の美しさに騙されちゃダメ
'Cause under the covers one discovers / 中身読んだらやさしい王様
That the king may be a crook / 詐欺師だとわかるかも

この逆のパターンでした。「地方の商店街」という表紙からは、総延長2.7km、ハイブランドとファストファッション、そして地元民、高所得層、観光客をまとめて迎え入れる本を「実際に読んで」分かったというお話しでした。

ピボット旅行2026-24『Yadon is not an Udon.』

はじめに

筆者ならびに友人も認める才能。それは、美味しい食事を引き当てる嗅覚です。

口コミサイトには頼らず

  • 自分の直感
  • 知り合いの紹介
  • 文字通りの「嗅覚」(美味しそうと思う香り)

など。人一倍食い意地が張っている筆者にとってはありがたい能力。そして、それ以上に助けられているのは

「食べたいと思うものがなければとことん譲歩できる」才能だったりします。

  • 手持ちと合わない
  • 地元でもっと美味しいものがある
  • 下手すればコンビニの方が美味しいまで見える

という取捨選択…… 言い換えると「護身」の才能です。

護身開眼

筆者が心に置いている言葉があります。『バキ』最凶死刑囚編で、渋川剛気の師匠、御輿芝喜平(護身流合気術開祖)がいう

「闘って勝つなどと言うことは
武の段階で言うなら未熟も未熟」

「勝てぬ敵には近寄れぬ」

「行こうにもそ奴の力量が おぬしの上ならば辿り着くことができんのじゃよ」

これに従いました。何というか、食事処すべてにどでかい閂付きの扉がありました。金刀比羅宮の参道にあるパーラーですら、入ろうとした瞬間に「いや…… やめよう」となったほど。

先に述べた「徳川ゆかりの地ほど相性が良い」薩摩ゆかりの自分としてもそこで暴れ回る(?)御先祖様の不興を買うのは得策ではありません。

では、高松に戻りましょう。

Yadon is not an Udon/ヤドンはうどんではない

幸い、時刻はまだランチタイムに十分間に合う頃合いです。琴電琴平駅から高松へ戻るべく、電車に乗り込みます。

そこで待っていたのが、ヤドンラッピング電車でした。

車体にヤドン。車内のシートにもヤドン。広告にもヤドン。どこを見てもヤドンです。

「うどん県ならではのコラボ……!」

香川県とポケモンのコラボレーションとして、これほど分かりやすいものもないでしょう。うどん県にヤドン。語感からして強い。

しかし、ここで筆者の脳内にひとつの天啓が降りてきました。よし、ならばお昼はラーメンにしよう。

うどん県でヤドンを眺めながら、ラーメンを食べる。「Yadon is not an Udon/ヤドンはうどんではない」のタイトル回収です。

徳島ラーメンという選択肢

そもそも、筆者が徳島ラーメンに目をつけたのには理由があります。徳島駅前の「麺王」で食べた一杯が、実に素晴らしかったのは前の記事でも述べたとおり。

その感動たるや、思わず「……拠点をこっちにするべきだった?」と考えてしまったほど。

旅先で食べた一杯のラーメンによって、宿泊拠点の選定にまで疑問が生じる。食事の力とは恐ろしいものです。

今回の旅では、うどんを食べるチャンスも残っていました。最終日の朝です。

一方、チェックアウトの時刻を考えると、徳島ラーメンを食べる機会は、この日のお昼くらいしかありません。

うどんはまだ残っている。徳島ラーメンは、今を逃せば食べられないかもしれない。

そう考えれば、答えはひとつでした。

そもそも、奥宮で入れなかった場所があったことも、こう考えれば納得できます。

これはきっと、「今日はこっちを食べろ」というお導きなのでしょう。

筆者はこういうとき、先の護身に全力で乗っかることにしています。

麺王の海老王

高松築港駅から歩いてすぐのところに、麺王があります。

徳島駅前で感動したあの味を、香川県でもいただく。今回注文したのは、その名も「海老王」です。

名前のとおり、海老の出汁が主役。

ひと口すすれば、海老の旨味が濃厚に広がります。スープの印象は、まるでビスク。ラーメンのスープでありながら、フレンチの海老料理を思わせるほどの濃さがあります。

素晴らしいおいしさでした。

金刀比羅宮の石段を上り、奥宮まで足を運び、そしてまた下りてきた筆者。汗をかき、体力を使い、水分もミネラルも失っています。

そこに、この濃厚な海老スープ。身体に染み渡るとは、まさにこのことです。

さらに替え玉を注文。今度は唐辛子を練り込んだ麺で、味わいを変えながらいただきます。

濃厚な海老の旨味に、唐辛子の刺激。石段の上り下りで消耗した身体が、みるみる回復していくようです。

うどん県で食べる徳島ラーメン。しかも、海老王。

ヤドンを見たからラーメンを食べるという、我ながらどういう連想なのかと思わなくもありませんが、結果は大当たりでした。

さて、この後どうするか

お腹は満たされました。では、この後どうするか?

明日には高松を引き払います。尾道を巡り、金刀比羅宮にも参拝した。旅の目的としては、すでに大満足です。

そして、外は本降りの雨。

ここまで来れば、無理に新しい観光地を探し回る必要もありません。旅としては、もう十分にクリアしているのです。

とはいえ、せっかく高松まで来たのですから、もう少し何かできることはないか。

そこで筆者は、手元にあるガラスと金属の板に尋ねることにしました。

「どっかお勧めのスポットないか?」

現代の旅人が持つ、最も手軽な観光案内所です。返ってきたのは、商店街を勧める強いサジェストでした。

高松商店街。

雨が降っている。明日には帰る。すでに主要な目的は達成した。それならば、屋根のある場所をのんびり歩くのも悪くありません。

このときは、まだ分かっていませんでした。の商店街という選択が、結果的に大正解だったことを。

そして、先に言った「勝てぬ敵は近寄れぬ」の逆が「興味があるところには全力で行かせようとする」ということを。

この記事で述べた

この「想像とは違う」というのを少なくとも筆者はあと2回は体験することになります。

の1回目が

こちらの「都内の名園で鎮座する庭石」が敷石・飛び石になっているという事実。

満を持しての「2つめ」が、次の記事になります。

ピボット旅行2026-23『天運発揮』

はじめに

今回のピボット旅行2026において、筆者を悩ませ続けたもの。それは、雨です。

もともとはブロンプトンを携行し、しまなみ海道を走ることを主目的としていた今回の旅行。しかし、天候という外的要因によって計画は大きく変更されました。

「自転車が使えないなら、自転車では行きにくい場所に行けばいいじゃない」

またもやアントワネットが言ってない言葉をささやきます。

そうして訪問先に選んだのが、金刀比羅宮。いわゆる「こんぴらさん」です。

琴電琴平に降りた瞬間

高松から琴電に揺られ、琴電琴平駅へと到着した筆者。

雨が止みました。

何しろ、今回の旅行は筆者の旅行歴の中でも異例の雨続き。天気予報を見ながら行程を組み替えた結果、金刀比羅宮の参詣。

自転車での移動を前提にしていれば、石段を延々と上る目的地は無理です。私には『週末ツーリング』のような二輪車のテクはありません。

雨で自転車を置いてきたからこそ、自転車で行く方が難しい場所へ向かう。

アクシデントをそのまま次の行動の理由に変える、ピボット旅行らしい展開です。

↑建前↑

↓本音↓

「やっと仕事をしやがったか天候の神!」

ええ、筆者がそこに旅行する以上、良い天気なのは当然だを自負する筆者です。

「空気を吸って吐くことのように! HBの鉛筆をベキッ!とへし折る事と同じように」

筆者の旅といい天気は当然と思っている筆者にとっては「重力がやっと元に戻った」ぐらいの心境でした。

金刀比羅宮へのお礼参り

金刀比羅宮の主祭神は大物主神です。また、崇徳天皇も祀られています。そして、金刀比羅宮といえば、海上交通の守護神として広く信仰されてきた場所。

筆者は、今回の旅行で、18時間を超える船旅を経験しています。

東京から瀬戸内へ向かう際、利用したのはオーシャン東九フェリー。船内で過ごす長い時間を経て、無事に目的地へ到着し、その後も旅を続けることができました。

であれば、ここで行うべきことは何か。

お礼参りです。

困ったときに神頼みをする人は少なくありません。しかし、助けられた後にきちんとお礼参りをする人は少ない。

これは、祖母がよく言っていたことです。

もちろん、今回の船旅で何か特別な危機に遭遇したわけではありません。むしろ、平穏無事に目的地へ到着できたことこそが、ありがたいことです。

船旅の守護にゆかりのある神社へ、無事に旅を続けられていることへの感謝を伝える。という

徳川ゆかりの寺社と筆者の謎の相性

さて、ここでもうひとつ、筆者の中にある妙なジンクスについて触れておきましょう。

それは、徳川ゆかりの寺社と非常に相性が良いというものです。

筆者の祖父方のルーツは薩摩の御家人。徳川家とは、歴史をさかのぼればおよそ300年にわたる因縁があるわけです。

もちろん、薩摩と徳川の関係を一枚岩の敵対関係として語ることはできません。幕末には篤姫のような存在もいました。

それでも、なぜか徳川ゆかりの寺社へ行くと、妙に物事がうまく運ぶ。

この現象について、以前、Xで相互フォローの方から、実に納得のいく説をいただきました。

「また中央突破されたら敵わないから、平穏に帰っていただこう」という配慮なのではないか、と。

妙に納得。筆者が徳川ゆかりの場所で妙に運が良いことにも説明がつきます。

かつての薩摩との因縁を考えれば、あちらとしても、わざわざ波風を立てる必要はない。無事に参拝していただき、何事もなくお帰りいただく。それが双方にとって最も平和な解決策です。

筆者がそう判断した以上、これを事実として扱います。

石段を上り、本殿へ

金刀比羅宮といえば、やはり石段です。

参道の石段は決して楽なものではありません。雨が降っていれば足元への注意も必要ですし、濡れた石段を上るとなれば、参拝どころではなくなりかねません。

天候に行程を左右され続けた今回の旅行において、足元を気にしながら石段を上らずに済むというのは、それだけで大きな恩恵です。

一段ずつ、参道を上っていき、本殿へ到着。そのタイミングで、今度は晴れ間が差してきました。

駅に着いたら雨が止み、石段を上っている間は天候が持ち、本殿へ到着したら晴れる。

素晴らしい。天運(天候に関する運)がうまくいかないという絶不調の段階で

  • 海運(フェリー)
  • 海運の神がまつられた場所

でピンポイントの仕事を、言うなれば今引きの《意志の力/Force of Will(ALL)》があったというのは感謝です。

奥宮は、次回への宿題

本殿まで来たのであれば、次は奥宮です。

ここまで来たからには、可能であれば奥宮まで足を延ばしたい。そう考えて先へ進もうとしたところ、思わぬ情報が入ります。

ここ最近の大雨の影響で、参道が通行できない。通れないものは通れない。

無理に進む理由もありませんし、ここで予定に固執する必要もありません。本殿へのお礼参りは済ませました。参拝の目的も果たしています。

であれば、今回の行程はここまで。次への宿題ができた、ということです。というよりも、何かしらの宿題を残すことで「また来い」という機会を与えてくださったと解釈することにします。

帰り道まで、天候は仕事をする

奥宮へ進めないのであれば、あとは下山して高松へ戻るだけです。高松まで戻れば、まだ何かしら訪問できる場所はあるでしょう。

ようやくお昼にさしかかったばかり。次の目的地へ向けて、再び切り替えればよいのです。

そうして参道を下り始めたところで、またしても雨が降り始めました。

駅に着いたら止み、石段を上っている間は持ち、本殿へ着いたら晴れ、参道を下り始めたら降り出す。

「さすが天候の神! 空気を読んだ天候操作を平然とやってのける そこにシビれる! アコガれるゥ!」

の精神です。Good Point、むしろGod Pointというべき。まぁ、神の本領が発揮できる場所でなければ筆者の天候運は仕事ができなかった程度の異変が起こったと思います。

筆者がそう判断した以上、これを事実として扱います。(大事二度言

買い物は、もう済んでいる

金刀比羅宮の参道で買い物をする、という選択肢はあまりありませんでした。

尾道ですでに買い物を済ませています。言っては何ですが、「清水寺両脇とか仲店の石段版か……」程度の考えではありました。

そして、高松へ戻ります。

ピボット旅行2026-22『Udon in the Bank』

はじめに

前日の尾道行きから一夜明けた、2026年9月27日。

この日の高松も雨でした。尾道というメインイベントは終わりました。では、残された時間をいかに充実させるか。

前の記事で書いたとおり、脳内ゴリラルームのタイムコントロールによって、日記の遅れを取り戻し、身支度と荷物の確認まで完了。午前6時50分、筆者は朝食へ向かう準備を整えました。

目的は、うどんです。

パックうどんから始まる期待

そもそものきっかけは、旅行初日に食べたパックうどんでした。これが、思いのほか美味しかったのです。

「パックうどんでこれだけ感動するのなら、本場で食べたらどうなるのか?」

そう考えるのは、自然な流れでしょう。もちろん、筆者は高松まで来ています。うどんの都と呼ばれる土地で、うどんを食べずに帰るという選択肢はありません。

しかも、今回の旅行は雨です。

自転車での移動が難しい以上、晴れていれば自転車で訪れる場所を優先する意味は薄くなります。むしろ、雨だからこそ自転車では行きにくい場所を選んだ方が得策です。

そこで、目的地として決めていたのが金刀比羅宮でした。参詣の前に、まずは腹ごしらえ。

朝から営業しているうどん店を目指し、午前7時を目安に動き始めます。

金刀比羅宮へ向かう時間も確保しなければなりません。だからこそ、朝食を早い時間帯に済ませる必要があったのです。午前7時開店。十分間に合うだろう。

……そう考えていました。

えぇい、タイミングが悪いとこうも違うとは!

店に着いてみると、そこには想定外の光景がありました。

混雑です。

朝の7時だというのに、うどんを求める人々が集まっている。

「えぇい、タイミングが悪いとこうも違うとは!」

脳内シャア、早くも実況開始です。朝食を早めに済ませるという計画そのものは間違っていません。むしろ、これから金刀比羅宮へ向かうことを考えれば、合理的な判断です。しかし、時間を読めていることと、店が空いていることは別問題。

こういうところで、旅行というものは予定どおりにいかないものです。

とはいえ、ここで引き返す理由もありません。

せっかく来たのですから、いただきましょう。

スタイルと量を決める……合理的だな

うどん店で注文する。文字にすれば、それだけのことです。

しかし、混雑している店では、注文から会計までの流れが重要になります。

何を、どれだけ食べるのか。

それを決め、店の流れに沿って注文し、会計を済ませる。

「スタイルと量を決める……合理的だな」

脳内シャア、今度は店のオペレーションに注目しています。筆者好みの釜揚げがあるのは素晴らしかったです。

しかし、混雑しているからといって、客が迷い続けていては列が進みません。注文する側も、自分が食べたいものと量を判断し、手際よく進める必要があります。

そして、会計。

「ここでの会計のスマートさが彼らの評価基準という訳か」

もちろん、店の評価基準そのものを断定するつもりはありません。ただ、客が次々と訪れる状況では、料理の美味しさだけでなく、注文から会計までの流れも店の体験を構成する重要な要素です。

うどんを食べに来たはずなのに、脳内シャアはすっかりオペレーションの分析に入っています。

「これは……!」

そして、いよいよ実食です。箸を進めた、その瞬間。

「これは……!」

脳内にフレクサトーンが響き渡ります。ここで鳴るのは、ただの効果音ではありません。筆者にとっては、食べる前の期待と、実際に口にしたときの驚きが一致したことを告げる、例のニュータイプの効果音です。

あのパックうどんで、ここまで違うと思った。本場のうどんを食べることで、その差を実感したのです。

ここで思い出したのが、NXTです。

NXTは、WWEにおける育成ブランドという位置づけを持ちます。そこで提供される試合は、もちろん、それ単体で十分に楽しめるものです。しかし、WWEという興行全体を見渡せば、NXTはあくまでその一部。そこで求められる最低限の水準そのものが、既に高いのです。

これをうどんに置き換えるならば、あのパックうどんが、まさにそれに当たります。

香川県民にとっては、うどんとはこの程度の水準を満たしていて当然、というものなのかもしれません。しかし、他県から来た筆者にとっては、それだけでも十分に感動できるものでした。

ところが、この店の、ゆでたてのうどんは違います。これが、高松のメインイベントを張れるスーパースターの存在。

最低限の保障として提供されるものですら、十分に高い水準にある。それを知ったうえで、さらに上の格を見せつけられる。

パックうどんを入口にして、ここまで印象が変わるとは。そして、恐ろしいことに、香川県民が通う店は、ここだけではないのです。

まだ、これ以上の「推し店」がある。

今回の一杯で、本場のうどんの実力を見せつけられた。それなのに、地元の人々にとっては、これすら数ある選択肢の一つにすぎないわけです。

しかも、カニカマ天の太さにナス天のみずみずしさも加わります。

……いったい、どこまで層が厚いのか。

まだ、食べられる

今回の一杯で満足したか。もちろん、満足しました。

しかし、満足したことと、もう食べなくていいことは別問題です。

  • まだ食べたい店がある。
  • まだ試したい味がある。
  • 高松に滞在している以上、可能ならば、もう少し食べ歩きたい。

問題は、胃袋にも時間にも限りがあることです。うどん店を巡るためだけに旅行しているのなら、話は違ったかもしれません。しかし、今回は金刀比羅宮への参詣も控えています。

そもそも、朝食を早めに済ませるために、この時間に店へ来たのです。

ここで延々とうどんを食べ続けるわけにもいきません。

「まだ選べるというのに……!」

そんな未練を残しながら、筆者は店を後にします。

高松のうどんは、まだ終わっていない。しかし、今は次の目的地へ向かわなければなりません。

こうして、腹ごしらえを終えた筆者の金刀比羅宮参詣が始まったのでした。

ピボット旅行2026-21『自動書記の利用』

はじめに

2026年9月27日。

ようやく、ピボット旅行の3日目が始まりました。この日の天気も雨。尾道に行くというメインイベントは終わりました。では、この日をいかに充実させて過ごすか?

その前に、必須ルーチンが待っていました。

日記です。

ただし、単に日記を書くだけではありません。今回の旅行で筆者が利用したのは、脳内のゴリラルームが持つ、ある種の「自動書記」状態でした。

脳内の自動書記とは

まず、自動書記とは何か。ここで言う自動書記は、何か神秘的な力に導かれて文字を書くという話ではありません。

起き抜けのルーチン。顔を洗い、歯を磨き、ベッド周りを整える。いちいち「さて、次は歯を磨こう」と考えなくても、身体が勝手に動く、あの状態です。

筆者は、これを日記を書くところまで拡張しています。

頭が完全に覚醒する前に、いつもの手順の延長として筆記を始める。そうすると、書くか書かないかを判断する前に、既に手が動いているわけです。

何しろ、人間というものは、やる理由を見つけるのは大変ですが、やらない理由を見つけるのは非常に簡単です。ならば、そもそも「今日は書こうか、どうしようか」という判断を挟まなければいい。

これが、今回利用した自動書記の正体です。

なぜ日記を書くのか

これはもう、筆者の意地みたいなものです。かれこれ、ほぼ日手帳は2020年から再開し(再開、と言うのがポイントです)、2021年1月からは、全ての日付のページを埋めています。

「朝起きて着替えることを習慣とは言わない」

というレベルでやっています。

なぜ日記を書くのか? 生存報告みたいなものです。そのとき何を感じたか、どこへ動いたか、何が起きたか。そのまま記録する。

その時点での自分が何を考え、どう動いたのか。それを残しておけば、後からいくらでも振り返ることができます。そして、一度記録してしまえば、後はどうとでもなる。

旅行記を書くにしても、ブログの記事にするにしても、まずは材料があることが重要です。記憶だけを頼りにして、数日後に「あれ、あのとき何を考えていたんだっけ」となるのは避けたいところ。

だからこそ、「とにかく書いた」という事実が重要なのです。

サボるときはサボるが、書くときは書く

ところが、筆者の日記の書き方は、少々特殊です。

「4日~5日ほどすっ飛ばす」ときがあります。

理由は簡単。

「筆が乗らないから」。

ええ、言い訳としては百点満点ですね。しかし、筆者は「今日は一行書いたから日記にはしよう」とはなりません。なぜなら、「このページは書いていない」という事実を知っている人が確実にいるからです。

ほかならない、筆者自身です。

書いていないものを、書いたことにはできない。そのため、「4日ほどサボったら、5日分書き上げる」ということを半ば習慣にしています。

サボること自体は否定しません。筆が進まないときは進まないのですから、そこは仕方がない。ただし、サボった分は後で回収する。

このあたり、妙に律儀なのか、それとも単に面倒な性格なのか。おそらく両方でしょう。

そこで役立つ自動書記状態

さて、そんな筆者にとって、数日分の日記をまとめて書く作業は、なかなかの難敵です。人間、「やる理由」を見つけるのは大変ですが、「やらない理由」を見つけるのは非常に簡単です。

そして、筆者のサボり癖は、筆者自身が一番よく理解しています。

筆が進まないときは、書く必要がないように思えてしまう。明日でいい、後でいい、今は別のことをしよう。

そうしているうちに、未記入のページが増えていく。しかし、ここまで続けてきた記録の連続(ストリーク)を無駄にするのは、何かに負けるような気がして嫌すぎる。

そこで利用するのが、起き抜けの時間帯です。

頭が完全に覚醒する前なら、余計な判断を挟まずに作業へ入れます。「今日は日記を書くべきか」という議論を脳内で始める前に、既に筆記を始めてしまう。

意志の力で自分を奮い立たせるのではなく、意志の力を使わなくても作業が始まる状態に持ち込むわけです。

脳内のゴリラルームによる、なかなか合理的な時間管理と言えるでしょう。

筆記器具を持ち込んだ理由

もちろん、ただ起き抜けに手帳を開けば、すらすら書けるというものでもありません。

今回の旅行では、筆者が愛用している万年筆を、別便を利用したこともあって一切合切持ち込んでいました。

これにも理由があります。気分によって使いたい色が違う。それに伴って、筆記時の滑り心地も違う。

筆者の脳が「これならすらすら書けるな」と判断する組み合わせがあるのです。

日記を書くという作業そのものを習慣化していても、実際に手を動かすまでの抵抗がゼロになるわけではありません。

だからこそ、道具の力も借りる。

書き始めるまでの障壁を下げ、書き始めた後は勢いに任せる。自動書記状態を利用するのであれば、筆記環境も整えておくに越したことはありません。

こういうところだけは、妙に抜かりがないのです。

動き始めた筆

そして、実際にどうなったのか。9月27日の朝、日記は9月25日で止まっていました。つまり、旅行中の記録が2日目の途中までしか埋まっていなかったわけです。

そこで、脳が完全に動き出す前に書き始める状態へ持ち込みました。結果、1ページあたり約6分のペースで、9月30日分まで書き上げました。

繰り返しますが、これを成し遂げたのは9月27日です。まだ9月27日の朝だというのに、9月30日分まで書いている。

日記の日付を、現実の時間より先回りしてしまったのです。もちろん、未来に起きることを予言して書いたわけではありません。

書いたのは、今回のピボット旅行についてです。何を思ったか。何が起きたか。そこに至るまで、どのような意思決定をしたか。

今回の旅行は、当初の計画からさまざまなピボットを重ねています。そうした判断の経緯まで記録していくと、1日1ページでは到底収まりません。

そこで、ほぼ日手帳の日付の下のスペースに「9/25」などと実際の日付を書き込み、記録を続けていました。

手帳に印刷された日付と、記録している出来事の日付が一致しなくても構わない。

重要なのは、出来事を忘れないうちに記録しておくことです。後でブログにまとめる際にも、このときの記録があれば、旅行中の判断を含めて再構成できます。

何より、数日分をまとめて書くという作業を、旅行中に片付けられたのです。

時間経過

起きたのは、4時50分ごろ。

そこから歯を磨いたり、顔を洗ったり。着替える前に日記を書き終え、着替えや、この時点での荷物チェックまで済ませたのが6時50分でした。

約2時間で、身支度の一部と日記の追いつき、さらに荷物の確認まで完了。我ながら、脳内のゴリラルームのタイムコントロールはいい仕事をしています。

……というよりも、今回は「この時間帯でなければ朝ご飯に間に合わない」という事情がありました。

せっかく高松まで来たのです。うどんの都の名物を、朝からいただきたい。

しかも、目指すのは朝早くから営業しているうどん店です。のんびりと寝坊している余裕はありません。

日記を書くべきか、書かざるべきか。そんな脳内会議を開いている時間もありません。

だからこそ、起き抜けの自動書記を利用し、必要な作業を先に片付けた。

こうして、午前6時50分。筆者は手帳を閉じ、朝の高松へ出発する準備を整えたのでした。

ピボット旅行2026-20『ゴリラルームの強制指示』

はじめに

山陽線からマリンライナーを乗り継ぎ、高松駅へと帰宿した筆者。

そこで、筆者自身の行動パターンを咎め、ある指示を出す存在がありました。

脳内ゴリラルーム。その、もう一つの役割です。

ゴリラルームのもう一つの役割

以前の記事でも触れた、プロレスにおけるゴリラポジション。

試合を組み立てるだけでなく、アクシデントへの対応も重要な役割です。

いくら精鋭揃いのスーパースターとはいえ、事故や怪我はつきものです。当然、人命が最優先されるものの、彼らの「時間を売る商売」にとっては、何をおいても守らなければならないものがあります。

  • 試合時間
  • それに伴うCMの入れ方
  • CMを挟んでも途切れさせない番組の進行とインターバル

もっと有り体に言えば、『The Show Must Go On』を地で行く商売です。

予期せぬ事態が起きても、興行を成立させる。そのために、状況を見極め、必要な指示を出す。

そして、この考え方は旅行にも応用できるのではないか。

今回、ゴリラルームには、もう一つの役割を担ってもらうことになりました。

旅行者本人が疲労に負けてサボろうとしたとき、必要な行動を強制すること。

何が言いたいかというと

絶対に、宿に直行するとサボる。

高松駅から宿までは歩いてすぐです。雨の中を移動し、千光寺公園までの垂直移動もこなした身としては、もう十分に働いたという気持ちもあります。

「いいや、今日は、真下のコンビニでも行こう」

そう考えることは容易に想像できました。

もちろん、それはそれで旅の思い出にはなるでしょう。しかし、こういうところで手を抜いた後悔は、ずっと引きずるのが筆者の性分です。

そもそも、今回のピボット旅行は、2024年の消化不良だった旅行へのリベンジも兼ねています。

せっかくの旅行で、疲れたからという理由だけで必要な行動を省略し、後になって「あのとき、やっておけばよかった」となる。それだけは避けたい。

そこで、脳内ゴリラルームから指示が出ました。

「宿に帰ってゆっくりしたい。だから外食はしたくない。その気持ちは分かる。だが、最低限の夕飯の買い物は済ませろ」

……はい。

反論の余地はありませんでした。

結果的に、これが正解

前述したとおり、この日はかなりの買い物をしています。しかも雨の中、千光寺公園までの垂直移動までこなしています。

体力の消耗は相当なものでした。

しかし、買い物をして正解でした。

またしてもスーパーマルナカへと向かい、(そして、やっぱりスルーしてしまったレクサスショールームを横目に)手慣れた手つきと足取りで、2日目の夕飯を確保します。

ここまで来れば、あとは宿に戻って食べるだけ。

さらに、食べ終わったら宿の大浴場で汗を流します。

これも、放っておけばサボるという自信しかありませんでした。

疲れているから、今日はいいや。

その「今日はいいや」が積み重なると、せっかくの旅行が少しずつ消化不良になっていく。だからこそ、疲れた自分に判断を委ねず、元気なうちに決めた方針を実行させる必要があったわけです。

この日の買い物

今回、スーパーマルナカで確保したのは以下の品々。

  • バラちらし
  • 貝のにぎり
  • 鶏皮ポン酢和え
  • ノンアル2種
  • カップ味噌汁

正直なところ、高松に戻ってきても胃の容量は相当なものです。

あの餅入りの尾道焼きが、まだ胃袋の記憶に控えている。それでも、これくらい食べないと体力的にキツいという実感はありました。

旅先での食事は、単なる楽しみであると同時に、翌日以降の行動を支えるための補給でもあります。

そして、買い物を済ませ、食事を取り、大浴場で汗を流す。

これでようやく、2日目の行動を締めくくることができました。

脳内に臨時指揮権を与えるという行為

本当に、この試みは最高でした。

先に述べた脳内シャアが、お気楽なレビューをしている。その一方で、こちらの言葉や行動の行間を読み取り、必要な指示を出してくれる存在がいる。

  • プロに見えて、割とアドリブで生きる赤い人
  • エンターテインメントをプロとして成立させる達人

このタッグが、思いのほかうまく機能しているのです。

自分一人で考えていると、疲労を理由に判断を先送りしたり、その場の楽さを優先したりする。しかし、別の視点から「それは本当に必要な省略なのか」と指摘されることで、後悔しないための行動を選べるようになる。

もちろん、何もかもを厳格に管理する必要はありません。旅にはアドリブも必要です。

ただし、アドリブで済ませていいことと、後回しにすると後悔することは違う。

その線引きをしてくれる存在が、脳内にいる。

そして、旅行は残すところ、あと一泊。

脳内シャアがレビューを続ける傍ら、ゴリラルームは必要な指示を出す。

どうやら、この旅行の指揮系統は、思っていた以上に優秀なようです。

ピボット旅行2026-19『あるのがいけない!! Part 1』

はじめに

旅行というやつ、買い物のリミットが割と外れます。

みつけたもの

尾道紅茶。2024年も買ってはいましたが、あくまでもお土産として。普段使いという意味では足りませんでした。(これは完全な言い訳ですが、旅行中に体力を大幅に削っていたのでいちいち覚えていなかったというのも大きいです)

さて、尾道は隠れた名産としてお茶があります。特に尾道紅茶は先の2025年大阪万博のスリランカ館で、この尾道の茶舗の商品が展示されたほど。

なぜ尾道に紅茶がここまで流通しているのか? それを軽くシミュレートして、買うことにしました……。

  1. 北前船の寄港地としての『天然の良港』と経済の要所

尾道は天然の良港。また、風待ちとしても嵐除けとしても中継地として非常にちょうど良く、古くから瀬戸内海航路の要所・北前船の寄港地として、各地の銘茶や物資が集まる交易の街だった

また、住友財閥の極めて重要な「尾道会議」にて、住友銀行ヲ興ス事が諮られた非常に重要な土地。

  1. 坂道と猫の街に根づく『サロン文化・カフェ文化』
    文豪や志賀直哉たちが愛した尾道は、時間を忘れて思索に耽る喫茶文化が古くから育まれてきた土地。細い坂道を巡り、ふと立ち寄った洋館やカフェで丁寧に淹れられた紅茶をいただく……そんな風土と、全国の紅茶通を唸らせる名産へと育った

なるほど。では、紅茶があるのは自然です。

↑建前↑

↓本音↓

「あるのがいけない!! あるのがいけない!!」

に尽きます。そう、あの『ドカ食い』を求める方のごとく、ポイポイとカゴに入れて会計していたことは覚えています。

帰り道に思ったこと

さて、今回の旅の拠点は高松です。山陽線の電車の待ち時間に抹茶のブリオッシュをいただいて「うお、なんだこのとろける舌触りは、本当に小麦粉なの? これがブリオッシュ(お菓子)ならマリー・アントワネットはヘイトを勝って当然では(言ってない)」を思い出しました。

それはさておき、電車の中で会計を思い出します。

「9,208円になります」

と言われたことも覚えています。

「え? そんなに買った? そんなに入れてないはずなんだけど……」

思いつつ、夕飯を仕入れ、帰宿。食後に買ったものを整理していると

「……いや、よく1万円で収まったな」

と結論。

  • 缶入りティーバッグ3種
  • アソート1袋
  • 八朔ティーバッグ
  • レモンティーバッグ
  • エコバッグ

なるほど。商品があったことは覚えていたがその途中経過がすぽっと抜けていました。これに関しては筆者が「お茶を買うときにいちいち値札を見ない」という買い方がある種災いをしています。

高級茶でそんな買い方をしたら一瞬で資産が溶けますが、生憎とフレーバーティーを主体としていたので「そのノリで買えば大丈夫だろう」という最後の理性は働いていたのは、ある種の幸いでした。

さて、この尾道紅茶。休み明けにそれぞれ楽しみましたが「……よかった、通販があって」でした。これから足りないときは注文できるので。

しかし、「現地で買う→次の旅行“いつにする”か」という動機が減ったのはやや残念な点です。

ピボット旅行2026-断章『氷面師たち』

はじめに

『パン屋航路』での食事をご紹介しました。この時に食べたものは、

  • グリーンカレーパン
  • ずんだ入りクリームチーズベーグル

の2つ。しかし、パッケージには3つめのものがあったはずです。

実はこれ、道中のおやつに食べようと思っていた「抹茶ブリオッシュ」。しかし、「お昼に尾道焼きが控えているため」に取っておいたものです。

本来、これを聖地巡礼の後に食べる予定だったのですが……。

脳内ハリソン山中の提案

商店街を歩いていると、脳内のハリソン山中(『地面師たち』)が語りかけてきました。

もっと大きなヤマを狙いませんか?

そうですね……白玉がゴロゴロ転がるようなヤマです。つまらないじゃないですか、宿に帰れば食べられるものをチマチマ食べても。小さなヤマよりは大きなヤマ、容易いヤマよりは困難なヤマ。胃袋が怖気づいて二の足を踏むような――難攻不落のヤマを落としてこそ、この旅をしているんじゃないですか?

それに一も二も無く飛びつきました。

向かった先の「ととあん」

ここで向かったのが、甘味処「ととあん」です。

筆者がこのお店を知ったのは2011年。それ以来訪れている、最高に好きな甘味屋です。もちろん、今回のような「ヤマ」が待ち構えていることも知っていました。

選んだのは、白玉はっさく練乳かき氷。(正式な商品名は忘れました)

そして、運ばれてきたのがこちら。

……大きい。

写真のとおり、かき氷の頂上にはっさくが鎮座しています。白玉とはっさく、練乳は別添え。つまり、目の前にあるのは、文字どおりの「大きな山」です。

もちろん、注文時に描かれていたものしか乗っていません。そこに偽りはありません。

ただし、実物を前にしたときのインパクトまでは、メニューから読み取れませんでした。

予定していたおやつを食べる代わりに、思いがけず大きなヤマに挑むことになりました。

「このヤマ、どうやって攻略するか……」

の前に既に食べ終わっていました。

  • サクサクとした味を楽しむ
  • 白玉と練乳を別添えでやる
  • シロップを足す
  • 最後に全てを混ぜ合わせて飲むようにして食べる

はやっていたはずです。

余談

筆者がこのお店を知って以来、訪れるたびに思うことがあります。

「自宅とこの店のポータル、開けられないかな?」

それくらい好きなお店なのです。

なお、先のWWEの例で言うなら、今回の出来事はハリソン山中がキャッシュインしたようなものです。

こちらは抹茶ブリオッシュを温存していたつもりでした。しかし、目の前に現れたのは、それを後回しにするだけの価値がある大物でした。(なお、このブリオッシュは電車待ちの間に美味しくいただきました)

ピボット旅行2026-18『神様お願い!』

この言葉にピンと来た方は、グループ・サウンズの大御所、ザ・テンプターズの曲、あるいはそれをカバーした桃姫BAND(尾崎亜美)のタイトルを思い出すかもしれません。

しかし、筆者にとってこの言葉は、アニメ『かみちゅ!』のサブタイトルになります。

はじめに

筆者がこの旅を決めてから、プレイリストにぶち込んだ曲があります。

このタイトルにある『神様お願い!』を筆頭として、

  • 青春のいじわる
  • 野性時代
  • 時の河を越えて
  • 君に決定

そう、アニメ『かみちゅ!』のサブタイトルに使われていた曲です。

これらのサブタイトルは、1980年代のアイドルソングなどから取られています。タイトルだけを並べれば、当時の音楽に詳しい方なら別の景色が浮かぶかもしれません。

筆者の場合は、これらをAmazon Musicのプレイリストに放り込むところから、今回の旅が始まりました。

尾道を歩き、作品の舞台となった場所を訪れる。そのための準備として、まずは音楽から作品の世界に入っていくわけです。

……我ながら、ずいぶんと回りくどい準備運動です。

筆者にとっての『かみちゅ!』

以前の断章でも触れたとおり、筆者にとって尾道は、単にアニメの舞台だから訪れたい町ではありません。

そもそも、筆者が尾道という町を知り、実際にその空気を感じた後で『かみちゅ!』に出会っています。

作中では、中学生の一橋ゆりえが突然神様になってしまいます。けれども、物語の中心にあるのは、神様になったことによる壮大な冒険ばかりではありません。学校に通い、友人と過ごし、町を歩く。そんな日常の中に、神様や不思議な出来事が自然に溶け込んでいます。

この世界観が、実際に歩いた尾道の町と重なりました。

筆者にとって『かみちゅ!』は、作品を見てから舞台を訪ねたというよりも、先に五感で記憶していた町が、作品を通じてもう一度つながったような存在です。

だからこそ、今回の旅行で自転車を置いていく判断をしたのは、断腸の思いでした。自転車で尾道を走ることも、もちろんやりたかったことです。

しかし、今回あらためて確かめたかったのは、自転車で走ることそのものではありません。尾道という町を歩き、以前訪れた場所にもう一度立つことでした。

そして、せっかく尾道に来たのですから、『かみちゅ!』の聖地も巡りたい。

今回の行程では、そんな筆者にとって外せない場所を3か所回ることにしました。

尾道で確実に行ける3つの聖地

福本渡船「神様御用達」のフェリー

まずは、福本渡船です。

『かみちゅ!』に登場する来福神社は、神様がいる神社として描かれています。その神様にゆかりのある場所を巡る旅で、渡船という存在を外すわけにはいきません。

尾道の町と向島を結ぶ渡船は、単に対岸へ移動するための交通手段ではありません。海を挟んで向かい合う町の景色と、そこを日常的に行き来する人々の暮らしをつなぐ存在です。

そして福本渡船は、多くの人々に惜しまれながら、その長い運航の歴史に幕を下ろしました。

今となっては、かつてのように船に乗ることはできません。それでも、尾道の風景と暮らしを形作ってきた渡船の記憶までなくなったわけではありません。

今回の聖地巡礼では、作品に描かれた世界と、現実の尾道の町が重なる場所として、この渡船を記録に残しておきたいと思いました。

御袖天満宮

続いて、御袖天満宮です。

『かみちゅ!』に登場する来福神社。その境内のモデルとなった場所です。

作中では、主人公の一橋ゆりえが神様となり、三枝祀(みこ)の実家でもある来福神社を中心に、さまざまな出来事が展開します。

その来福神社の境内に対応するのが、ここ御袖天満宮です。

そして、この場所にはもうひとつ、映画ファンにとってもおなじみの景色があります。映画『転校生』で、人格が入れ替わる場面に登場する石段です。

ひとつの場所に、異なる作品の記憶が重なっています。

『かみちゅ!』の舞台として見るなら、神様が暮らす神社の境内。『転校生』の舞台として見るなら、物語が大きく動く石段。

実際にその場に立つことで、作品の中で見ていた景色が、現実の町の中に存在していることを確かめられます。

艮神社

そして、艮神社です。

こちらは、来福神社の拝殿に対応する聖地です。

御袖天満宮が境内のモデルであるのに対し、艮神社は拝殿のモデル。この2か所を巡ることで、作中の来福神社が、現実の尾道にある複数の場所から形作られていることが分かります。

特に印象的なのは、『かみちゅ!』のオープニングです。艮神社の社殿は、タイトルロゴと重なる場所としても知られています。

作品を見ていたときには、ひとつの神社として目に入っていた景色。しかし、実際の場所を訪ねると、境内と拝殿という異なる要素が、それぞれ別の場所に対応していることに気づきます。

御袖天満宮と艮神社。どちらか一方だけではなく、両方を訪れることで、来福神社という架空の場所を立体的に捉えられるわけです。

神様にお願いした後は

こうして、福本渡船、御袖天満宮、艮神社と、今回訪れたかった3つの場所を巡ることができました。

作品の中でひとつの場所として描かれたものが、現実の尾道では複数の場所に分かれている。その違いを確かめながら歩くのも、聖地巡礼の楽しみです。

そして、今回の筆者には、もうひとつ大事な目的がありました。

先ほど、尾道焼きというメインイベントを完食したばかりです。

神様にお願いをした後は、歩いて腹ごなし。

……とはいえ、尾道の坂道と石段を巡れば、それだけで十分に運動になってしまうのですが。

こうして筆者は、作品の記憶をたどりながら、再び尾道の町を歩いていくのでした。

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