はじめに
高松を拠点に四国・中国地方を旅した2026年のピボット旅行。当初、筆者が高松に期待していたものは、それほど多くありませんでした。
四国と岡山・広島を行き来しやすい。うどんも本場で食べられる。それならば、旅の拠点として申し分ないだろう。その程度の認識です。
で、雨ばかりだったというのは既にお話ししたとおり。雨は更に厳しくなっているため、雨でも楽しめる近場のスポットをAIに尋ねてみます。そこで返ってきた答えが、高松中央商店街でした。
……商店街?
確かにアーケードがあれば雨に濡れずに歩ける。そういう意味では合理的な提案です。しかし、旅先でわざわざ商店街を歩く必要があるのだろうか。
筆者の頭の中には、地方の商店街に対する、ある種のイメージがありました。
- どこか懐かしい店並み。
- 地元の人たちが日用品を買いに来る場所。
- 郊外型の大型商業施設に客を奪われ、シャッターの閉まった店舗が目立つ場所。
もちろん、筆者は高松中央商店街を歩いたことすらありません。それなのに、なぜか「商店街」という言葉だけで、見る前からその姿を想像できた気になっていました。
今回は、そんな自分の認識が崩れていった話です。
片原町から始まる「やっぱりね」
高松中央商店街、片原町エリアから歩き始めました。落ち着いた佇まいのアーケード。昔ながらの商店街らしい雰囲気。雨をしのぎながら歩くには、ちょうどいい場所です。
「うん、やっぱり地方のアーケード商店街だな」
歩き始めた筆者の感想は、そんなものでした。別に、悪い場所だと思ったわけではありません。土地ごとの日常を感じられるのは、旅の楽しみの一つです。
ただ、筆者の中では、この時点ですでに一つの分類ができあがっていました。
- 地方の商店街。
- 落ち着いた街並み。
- 昔ながらの店。
雨の日に歩くには便利だけれど、わざわざ遠くから見に来るほどのものではないだろう。実際に目の前にある風景を見ながら、筆者はそれを、以前から知っていた商店街のイメージに当てはめていました。

そして、当てはまったことに納得していたのです。
「ほらね、やっぱり普通の商店街じゃないか」
今にして思えば、これが厄介なところでした。
筆者が歩いたのは、まだ商店街の一部にすぎません。それなのに、そこで見た景色をもって、全体もおおむね同じようなものだろうと考えてしまった。
知らないものを、知っているものの延長として理解する。その方が、いちいち考え直さなくて済みます。過去の経験を使って目の前のものを分類すれば、判断にかかる手間も少なくなります。
日常生活では、こうした判断が役立つ場面も多いでしょう。ただし、その分類が正しいかどうかは、また別の問題です。
そして、このときの筆者は、自分の分類が正しいかどうかを確かめる前に、すでに納得しかけていました。
「……ティファニー? ここ、表参道だっけ?」
そのまま歩いていき、丸亀町エリアに足を踏み入れたところで、様子が変わりました。まず、頭上のアーケードが異様に高い。

それまで歩いていた場所とは、空間の印象が明らかに違います。光が差し込む開放的な構造に、整然とした舗道。そして、沿道の店舗が目に入ってきました。
- ルイ・ヴィトン。
- シャネル。
- グッチ。
- ティファニーにエルメス。
「……え、LV? ここ高松だよね? 銀座か表参道の間違いじゃないよね?」
思わず立ち止まります。見上げれば、巨大なガラス屋根がドーム状に広がっています。イタリアのガレリアを思わせる空間に、ハイブランドの店舗が堂々と並んでいます。先ほどまで筆者が思い浮かべていた「地方の商店街」とは、ずいぶん違う光景でした。
ここで、ようやく自分の認識に不具合が生じます。いや、実際には、商店街の方は最初から何も間違っていません。間違っていたのは、商店街を歩く前から、その姿を知っているつもりになっていた筆者の方です。
しかも、片原町で感じた「予想通り」という印象が、丸亀町まで含めた商店街全体の評価にまで広がりかけていました。
最初に見た景色が、自分の先入観に合致した。だから、その先も同じだろうと思った。
もし、そこで引き返していたら、筆者は高松中央商店街について「地方の普通の商店街だった」という感想を持ち帰っていたかもしれません。
実際に歩いていない場所についてまで、です。
なぜ、自分の知っている範囲を世界の基準にしてしまうのか
ここで、今回の出来事を少し振り返ってみます。筆者が高松中央商店街に対して抱いていた先入観は、どこから来たのでしょうか。
高松に対する特別な悪感情があったわけではありません。商店街という存在そのものを否定していたわけでもありません。
筆者が知っていた商店街のイメージを、高松の商店街にも適用した。それだけのことです。しかし、考えてみると、これはなかなか乱暴な話です。
筆者は高松中央商店街について、事前に詳しく調べていたわけではありません。丸亀町の再開発についても、ハイブランドの店舗が並ぶことについても、現地を訪れるまでは知りませんでした。
つまり、判断するための情報が不足していたのです。それでも、人間は情報がそろうまで判断を保留するとは限りません(クソデカ主語)。手元にある経験や知識を使って、ひとまず目の前のものを理解しようとします。
未知のものを、既知のものに置き換える。そのおかげで、筆者たちは初めて訪れる場所でも、ある程度は迷わず行動できます。
ただ、その便利な仕組みには落とし穴があります。
自分が知っている範囲から作ったイメージを、いつの間にか対象そのものの特徴だと思い込んでしまうのです。筆者にとっての「地方の商店街」は、これまでに見聞きした経験から作られたイメージでした。ところが、実際に高松中央商店街を歩くと、そのイメージに収まらない場所がありました。
本来なら、そこで「自分の知っている商店街とは違うものがある」と考え直せばよかったのですが、以下のバイアスが発生していました。
- 自分の経験を基準にして世界を見ること。
- その基準に合致するものを見つけて、自分の認識を正しいと思い込むこと。
今回の出来事には、そうした認知バイアスの働きが表れていたように思います。
調べて分かった「奇跡の商店街」の背景
現地で受けた衝撃は、それだけでは終わりませんでした。
ホテルに戻ってから、高松丸亀町商店街について調べてみると、目の前に広がっていた景色には、きちんとした背景があることが分かりました。
高松丸亀町商店街は、自然に現在の姿になったわけではありません。
モータリゼーションの進展や郊外型商業施設の台頭など、全国の商店街が直面してきた課題に対して、地権者たちが一体となって再開発に取り組んできた場所です。
その過程では、土地の所有と利用を分離する仕組みなどが活用され、まちづくり会社を中心に街全体の再構築が進められました。また、単に店舗を新しくするだけではなく、広域から人を呼び込む商業空間を目指し、ハイブランドの店舗なども誘致しています。
筆者が現地で驚いた、開放感のあるアーケードや洗練された街並みは、そうした長年の取り組みの結果だったのです。
つまり、筆者が最初に抱いた「地方の商店街」というイメージでは、この場所が積み重ねてきた歴史も、再開発の工夫も、目指してきた街の姿も捉えられていませんでした。
知らなかったのだから、最初から理解できていなかったのは当然です。問題は、知らなかったことそのものではありません。知らないにもかかわらず、知っている範囲の情報だけで、分かったつもりになっていたことです。
自分のバイアスが崩れるということ
今回、筆者の認識を変えたのは、AIの推薦でした。
雨でも楽しめる場所として高松中央商店街を紹介され、ひとまず歩いてみた。片原町で予想通りだと感じ、そのまま南へ進んだところで、丸亀町の景色に驚かされた。
- もし、AIに尋ねていなければ。
- もし、片原町を歩いただけで満足していたら。
- もし、最初に抱いた印象を疑わず、引き返していたら。
筆者は、自分の先入観を補強するだけで、この商店街を後にしていたかもしれません。最初の印象が間違っていたという事実だけではありません。
筆者には、自分が間違っているかもしれないと考えるきっかけが、最初から十分にあったわけではなかったのです。知らない場所について、知っている場所と似た印象を受けた。だから、知っている場所と同じようなものだと考えた。
それは、特別に愚かな判断だったわけではありません。手持ちの経験を使って未知のものを理解しようとする、ごく自然な流れだったのでしょう。
だからこそ、厄介なのです。
自分の経験を基準にすること自体は避けられないとしても、その基準が通用しない場所まで、同じ物差しで測ってしまうことはあります。
そして、自分の判断が間違っていたと気づくには、その物差しでは測れないものに出会う必要があるのかもしれません。
筆者が知っているつもりだった「地方の商店街」というカテゴリーは、現地を歩くうちに、少しずつ役に立たなくなっていきました。
自分の知っている範囲を世界の基準にしてしまうのは、なぜなのか。それは、知らないものを理解するために、自分がすでに持っている知識や経験を使うからでしょう。
では、その基準が目の前の現実と食い違っていたとき、筆者たちは自分の認識を修正できるのでしょうか。
少なくとも今回、筆者はAIの推薦に従って歩き続けたことで、自分の思い込みが通用しない景色に出会うことができました。
そして、旅の面白さは、見知らぬ土地の景色を楽しむことだけではないのだと、あらためて感じたのです。
自分が世界をどう見ているのか。その見方自体が、旅先で崩れることもある。
終わりにかえて -Cover is not the Book-
筆者が大好きな歌、『メリー・ポピンズ・リターンズ』の『本は表紙じゃ分からない(Cover is not the Book)』に書かれている
Cover is not the book / 心が目に見えないように本も
So open it up and take a look / 表紙の美しさに騙されちゃダメ
'Cause under the covers one discovers / 中身読んだらやさしい王様
That the king may be a crook / 詐欺師だとわかるかも
この逆のパターンでした。「地方の商店街」という表紙からは、総延長2.7km、ハイブランドとファストファッション、そして地元民、高所得層、観光客をまとめて迎え入れる本を「実際に読んで」分かったというお話しでした。
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