はじめに
「脳の自動ショートカット機能によって生じる偏り」、いわゆる「バイアス」が崩れまくったのが今回のピボット旅行です。
もっと端的に言うと「外集団均一性バイアス」と「利用可能性ヒューリスティック」、そして「ハロー効果の別利用」といった陥りがちなバイアス
それを改めるしかない、と思ったのが「玉藻公園」ならびに夕飯の買い出しでした。
行動開始
徳島ラーメン「麺王」でお腹いっぱいになり、“あんぱんまんれっちゃ”に乗り、今回の旅の拠点へとチェックインしたのが始まり。
宿の凄味

母が勧める宿だけあって
- 高松駅からほぼ濡れずに移動できる
- 真下がコンビニ
というロケーションが最高の宿。回線速度も十二分です。
「夕飯まで間がある。どっか観光名所はないかな?」と問うまでもなく、旧高松城城趾、玉藻公園があります。
であれば、装備をサクッと入れ替えてそちらへ行くべき、という結論に達しました。
打ち砕かれた外集団均一性バイアス
自分が属していない集団や地域を「どこも大体同じようなもの」と雑に一括りにしてしまう偏りを「外集団均一性バイアス」と呼ぶそうです。
その「同じようなもの」が全然違うということを知ったのが、玉藻公園でした。

待って、これを、踏め……る?
「まぁ、城跡の公園だよね」ぐらいに見ていたのですが敷石、飛び石に圧倒。一つ一つが大人二人で抱えられるような巨岩です。

というよりも、一つ一つが
- 岩崎邸
- 旧古河庭園
- 六義園
レベルの都内の庭園でも「庭石」として立ち入り禁止エリアに鎮座しているレベルの美しさ。正直、「罰が当たるのでは」思いながら歩いて行きました。
その理由
調べて明らかになった事実。
「名石の産地だったから」という特大のバイアス破壊がありました。
玉藻公園の北東、庵治町・牟礼町は、最高級石材として知られる庵治石の産地。緻密な結晶構造を持ち、磨くことで独特の模様が浮かび上がる石です。庭石だけでなく、墓石や石碑、灯籠、彫刻などにも使われてきました。

そして、玉藻公園の沿革を調べて、さらに納得することになります。
- 高松城は、そもそも石材と無縁の場所ではなかった。 高松城は1588年、生駒親正によって築城が始まりました。その後、1642年に松平頼重が入封。大規模な改修を経て、松平家11代にわたる居城となります。瀬戸内海に面した水城であり、城そのものが讃岐の歴史と深く結びついていました。
- 現在の庭園にも、石を見せるための仕掛けがある。 玉藻公園の披雲閣庭園は、1914年から1917年にかけて、高松松平家12代当主・松平頼壽が披雲閣を建てた際に造られたものです。作庭を手がけたのは東京の庭師、大胡勘蔵。 つまり、東京の庭園文化と無関係どころか、東京の庭師が関わった庭園だったわけです。 しかも、庭園には庵治石を使った石橋をはじめ、大型の飛び石、沓脱石、手水鉢、灯籠などが配置されています。巨大な石材を単なる足場ではなく、庭園の景観を構成する主役として扱っているのです。
- その石が、地元で採れる。 ここが最高のアドバンテージです。 東京の名園であれば、庭石として置かれた石を見て「これは立派だな」と思う。ところが高松では、そうした石材を生み出す産地がすぐ近くにあります。岩崎家(三菱財閥当主)や三井家、住友家などの財閥が集めた石の「販売元」的な存在です。
地方だから、という思い込み
私は東京の名園をいくつか見てきたことで、いつの間にか「庭石のすごさ」を東京の庭園を基準に判断していました。しかし、玉藻公園にあるのは、東京の名園に負けない石を、地元の歴史と技術とともに庭園へ組み込んだ景観でした。
「地方の城跡にある公園」という雑な括りで見ていたものが、実際にはまったく違う背景を持っていたわけです。これが、今回崩れた最初のバイアスでした。
2. 東京の威光を借りていた?――高松駅前で崩れる、もう一つの思い込み
ハロー効果とは、対象が持つ目立った特徴に引っ張られ、ほかの部分まで過大評価したり、過小評価したりする偏りです。
今回の私の場合は、その逆方向の現象が起きていたように思います。
筆者が住むのは東京近郊。首都圏という巨大都市のインフラ、企業の集積、情報の発信力。そうしたものを、いつの間にか自分自身の価値や視野の広さと重ね合わせていたのではないか。
そこに住んでいるから、首都圏を基準に考える。東京の名園を知っているから、地方の庭園もその基準で評価する。
「それ、東京の威光を借りているだけでは?」
そんなことを考えながら、帰宅して高松駅前の写真を見直してみました。

そういえば、やたらと「石」を前面に押し出していないか?
改めて写真を見れば、駅前の広場にも石材がふんだんに使われています。第一章で調べた庵治石の産地が、ここ高松の東部にあることを考えると、石材が身近な存在であることにも納得がいきます。
もちろん、駅前に使われている石がすべて庵治石だというわけではありません。それでも、石材の産地を抱える街で、石という素材を公共空間の景観に取り入れている。そのこと自体がかなり正気の沙汰ではないです(褒め言葉)
石材の調達や加工を支える産業が地域に根付いていることは、街づくりにおいても一つの強みになるはずです。
「東京の駅前にも、こんな立派な石材が使われていたかな?」
そう考え始めると、見慣れた東京の風景を基準に高松を評価すること自体が、ずいぶん乱暴な話に思えてきました。
岩場(言わば)、地元の強みを生かせるわけです。
「これ、とんでもないな?」
現地では何となく眺めていた駅前の風景が、帰宅してから改めて戦慄する対象になりました。写真という記録が、現地では気づかなかったものを拾い上げてくれたわけです。
3. 利用可能性ヒューリスティック――「地方は衰退している」という、便利すぎる物語
利用可能性ヒューリスティックとは、思い出しやすい情報や、すぐに頭に浮かぶ事例をもとに、物事の頻度や重要性を判断してしまう偏りです。
地方について考えるとき、私の頭に浮かびやすかったのは何だったのでしょうか。
- 人口減少
- 過疎化
- シャッター街
- 公共交通の縮小。
もちろん、これらは現実に存在する問題です。しかし、そうした情報ばかりが思い浮かぶからといって、それが地方のすべてを説明しているわけではありません。
ニュースで取り上げられる問題と、実際にその街で暮らす人々が築いている生活や産業は、必ずしも同じものではない。
私は、見聞きしてきた情報から作り上げた「地方」というイメージを、現地を歩く前から当てはめていたのかもしれません。
そもそも高松を選んだ理由
ここで、そもそも私がなぜ高松を旅の拠点に選んだのか、という話に戻ります。
理由は単純です。
- 四国各県への移動拠点になる。
- 岡山を経由すれば、本州にもアクセスしやすい。
瀬戸内海を挟んで本州と四国をつなぐ、高松の立地です。
高松は、単に四国の一都市というだけではありません。四国を営業エリアとする企業や官公庁の拠点が集まり、金融機関の支店や地域企業の本店もある。例えば、公正取引委員会の四国支所も高松市内に置かれています。
瀬戸内海の海運に加えて、瀬戸大橋による鉄道・道路の接続もある。こうした交通網と都市機能を考えれば、高松を「地方」という一言で片づけることには無理があります。
そもそも、東京に近いことだけが都市の価値を決めるわけではありません。
地域の中で人や物が集まる場所には、それぞれの理由があります。高松の場合は、四国の拠点としての機能と、瀬戸内海を通じた交通の結節点という条件がある。
私は旅行先を決める段階では、その利便性をちゃんと理解していました。ところが、実際に街を見る段階になると、「地方」という大雑把なイメージが顔を出す。
我ながら、都合のよい話です。
現地に行かなければ、更新されない認識
玉藻公園の庭石も、高松駅前の石材も、現地で見なければ気づかなかったものです。
もちろん、事前に調べれば分かったこともあるでしょう。しかし、知識として知っていることと、実際に目の前にして「これは想像と違うぞ」と感じることは別です。
「地方は衰退している」という情報だけを集めれば、地方は衰退しているように見える。逆に、観光地の美しい写真だけを集めれば、どこも素晴らしい場所に見えるでしょう。
どちらも、見たいものや思い出しやすいものに引っ張られた結果なのかもしれません。
今回の旅で必要だったのは、地方を過大評価することでも、東京を過小評価することでもありませんでした。
- 自分が知っている範囲だけで、知らない場所まで分かったつもりにならないこと。
- そのためには、実際に歩いてみるしかない。
- 歩いてみた結果を、帰宅してからもう一度見直すこと
も大切なのだと思います。そして、この「想像とは違う」というのを少なくとも筆者はあと2回は体験することになります。
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