はじめに
いよいよ迎えた、ピボット旅行2026の最終日。高松を拠点に四国・中国地方を巡った旅も、この日に東京に戻る日です。
そんな最終日の朝食については、旅行前から決めていたことがあります。
朝5時から営業しているうどん屋で、朝うどんを食べる。
向かう先は、高松駅からほど近い『味庄』。平日のみの営業ながら、朝5時から店を開けているという、なかなかに尖った営業時間のお店です。
筆者にとって朝5時という時間は、それほど珍しいものではありません。むしろ、この時間だからこそ味わえるものがあります。
朝という名の交叉点
筆者は、どちらかといえば朝型の人間です。
仕事の都合によっては始発電車で職場へ向かうこともありますし、休日であっても早朝から行動することに抵抗はありません。そして、何よりも好きなのが、この早朝という時間帯そのものです。
理由は単純。
朝という時間は、様々な人々の生活が交叉する時間だからです。
- これから仕事へ向かう人。
- 夜勤を終えてようやく一息つく人。
- 深夜の営業を終え、仮眠を取ってから次の仕事へ向かうタクシードライバー。
- 一晩働いたキャストを労う飲食店のママさん。
同じ朝5時であっても、その意味するところは人によって全く異なります。
ある人にとっては一日の始まり。またある人にとっては、一日の終わり。
そして、そのどちらでもない、仕事の合間に訪れる束の間の休息。時計の針が指す時刻は同じでも、そこに流れている時間は決して同じではありません。
そんな人々が、同じ場所に集まり、同じものを食べる。筆者は、そういう光景が大好きなのです。
観光名所を訪れるだけでは、なかなか見えてこない土地の生活。そこに少しだけお邪魔できるのが、早朝営業のお店というわけです。
朝5時10分の光景
というわけで、朝起きてすぐに宿を出発。目的地は、宿泊しているJRクレメントイン高松からもほど近い味庄です。
時刻は朝5時10分。いくら朝5時から営業しているとはいえ、まだ開店して10分ほど。
さすがに、この時間からそんなに人がいるわけが……
それなりにいる。
思わず二度見する程度には、お客さんが入っていました。もっとも、ここまでは筆者の想定内です。
早朝営業をしているということは、それだけの需要があるということ。そして、この時間帯に訪れる人々の顔ぶれこそ、今回の朝食で楽しみにしていたものです。
ただ、一つだけ予想と違っていたことがありました。
妙に身なりがパリッとしている方が目立つのです。
いかにも仕事帰りという方もいる一方で、きちんとした服装で、これから仕事へ向かうのであろう方々の姿。朝5時過ぎという時間を考えると、少々不思議な光景です。
その理由にはすぐに思い当たりました。
時刻表が教えてくれたもの
高松駅に到着した際、筆者は駅の時刻表を写真に収めていました。旅先での移動計画に使うためでもありますが、こうした「なんてことない」記録が後になって役立つことがあります。
そして、その写真に写っていたもの。マリンライナー、朝4時台から走っているのです。高松から岡山へ向かい、そこから新幹線に乗り継ぐ。
そう考えれば、この時間に行動を始めることで、遠方であっても朝9時の始業に間に合う可能性が見えてきます。
以前の記事でも触れた、高松という土地の位置関係。四国の玄関口であり、瀬戸大橋を渡れば本州へとつながる交通の要衝。
筆者にとっては旅の拠点として選んだ高松ですが、そこに暮らす人々にとっては、日々の通勤や仕事を支える場所でもあるわけです。
朝5時のうどん屋に、きちんとした身なりの人がいる。それ自体は何の変哲もない光景ですが、時刻表という別の情報と結びついた瞬間、その背景が見えてきました。
観光客にとっての早朝は、地元の人にとっての通常営業。そんな「なんてことない(大事二言)」日常にお邪魔できるのは感慨深いもの我があります。
脳内シャア、ようやく起床
人間観察に夢中になっている場合ではありません。本来の目的は、うどんを食べることです。
今回注文したのは、釜揚げうどん。香川県といえば讃岐うどん。そして讃岐うどんといえば、強いコシを連想する方も多いでしょう。
もっとも、筆者は今回の旅行で、そうした先入観を何度となく覆されてきました。味庄について事前に目にした口コミとやらには、麺のコシが弱いという評価もありました。
ならば、ようやく起床してきた筆者の脳内シャアの出番です。
「さて、楽しませてもらおうか」
ロープ際の攻防
運ばれてきた釜揚げうどん。まずは一口。確かに、柔らかい。

一般的にイメージされる、噛み応えの強い讃岐うどんとは少し異なる歯ごたえです。
しかし、柔らかいと簡単に噛み切れは両立しません。
歯を入れると、確かに麺は素直に沈み込みます。ところが、噛み切ろうとする寸前で、ふっと粘りを見せるのです。抵抗がないようで、最後の最後に抵抗する。
この絶妙な粘りは何かに似ていると思ったら、筆者がYouTubeなどで見てきた、往年のプロレスラー、リック・フレアーの試合でした。
ロープ際まで追い詰められ、今にも決着がつきそうな場面。そこで簡単には終わらない。粘り、耐え、最後の最後まで勝負を続ける。あのロープ際の攻防です。
まさか朝5時の釜揚げうどんを食べながら、「狂乱の貴公子」の試合を思い出すことになるとは。
もっとも、うどんに足四の字固めを仕掛けられても困りますし、朝からWoooo!の叫びを聞きたいわけでもありません。
さておき。この柔らかさと粘りの両立こそが、筆者にとっては実に好ましいものでした。
コシの善し悪しの単純な物差しでは測れない食感が、そこにあります。何せ起き抜けの朝の身体に、この温かい釜揚げうどんが実によく馴染むのです。
チョイスした卵天にマイタケの天ぷらも、絶妙なコシを担保してくれました。
またしても、大満足。今回の旅行、うどんに関しては最後まで期待を裏切られませんでした。
もう一つの交叉点
今回、味庄で感じた交叉点には、もう一つの意味がありました。それは、社会的な立場の異なる人々が、同じ場所に集まるということです。
高松という土地には、様々な人が暮らしています。島や船団を所有するような富裕層もいれば、年金を頼りに慎ましく暮らす方々もいます。
若い人も、年配の人も。そして、その人々が同じうどん屋に集まってきます。
ここでは、どれほどの資産を持っているかも、どのような肩書を持っているかも関係ありません。あらゆる階級の人々が、同じうどんを食べるために集まってくるのです。
セルフサービスのうどん店であれば、なおさらです。同じデポの前に並び、同じトングを手に取り、思い思いの一杯を仕上げていく。
社会的な立場も、収入も、生活の時間帯も異なる人々が、同じ道具を共有する。それぞれが何を考え、どのような人生を送っているのかは筆者にとってはNone of my businessです。
それでも、同じ店で同じものを食べるという、ごく当たり前の行為によって、それぞれの生活がほんの一瞬だけ交わります。そこには、特別な演出もなければ、誰かが用意した物語もありません。
ただ、日常があるだけです。この日、筆者はこの宿を引き払います。言い換えるまでもなく、旅はもうすぐ終わります。
しかし、この店に集まっていた人々にとっては、今日もまた、いつも通りの一日が続いていきます。ある人は仕事へ向かい、ある人は家路につく。
そして筆者もまた、旅の最終日へと歩き出します。日常に戻るために。
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