数日前、図書館に漫画版の『鬼平』が置いてあったので読んでみたという次第。
僕が池波正太郎の名を知ったきっかけは、12年以上前に英国で滞在していたとき、たまたま見つけた『剣客商売』の文庫本。イギリスの(お察しください)な食事事情のため、氏が描写する「今にも、その料理が手元にあるかのような……」食べ物の風景に悶絶した覚えがあります。
それから『散歩の時に何か食べたくなって』などのエッセイ集、『おもしろくって、ありがたい』に代表される短文集を散発的に購入して池波氏の文章から伝わる「生き様」や「仕事のありよう」などのいわゆる池波的“ダンディズム”に憧れています。
それはさておいて、本のレビューというか感想は以下。
『剣客』
落ちぶれた浪人風の剣客が
「これでも…… 俺は、剣術使いだ……。だからよ、剣術使いのなれの果てが、どうしても意地を通したかった…… までの事だ……」
と言っていたので、「その道に生きるもののサガか」と思いながら読んでいると、単なる逆恨みと判明して若干がっかりでした。
下手人の一味を追い詰める長官(おかしら)の台詞回しや行動がいちいち格好よかったです。また、殺陣の描写に凄まじいまでの躍動感があるのは流石の大御所さいとう・たかをの成せる技でした。
『盗賊婚礼』
「“本格”の盗みに努める盗賊のお頭とそれを理解しない手下」「ひょんな事から盗賊一味の顔が割れる」という、鬼平にはありがちのパターンでした。しかし、その中にとても印象に残った言葉があります。
「然しながら、金は人間を活かすために使ってこそ意味のあるもの!」
池波正太郎先生の金銭感覚というか「金銭観」はこれに集約されていると思います。『剣客商売』の中にも「(秋山小兵衛)先生はお金を自分の召使いのように使いこなしていなさる」みたいな表現がありますし。
漫画でここまで面白いのですから、小説を通しで読むときのおもしろさ、読了したときの喜びは格別でしょうねぇ……。 時間のある今だからこそ通しで読んでいきたいものです。